ムハンマドブンアブドアルワッハーブ(英語表記)Muḥammad b.`Abd al-Wahhāb

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブ
Muḥammad b.`Abd al-Wahhāb
生没年:1703-91

アラビア半島ナジュド地方の宗教家。タミーム部族出身。ナジュド地方ウヤイナの生れ。メディナでイスラム学を修めた後,多年にわたってイラクシリア,イラン各地を学問遍歴した。帰郷後,遅くとも1740年までには,コーランスンナだけに基づき,神の唯一性を強調する厳格な復古主義的教説の布教を開始した。その思想はイブン・ハンバル学説の流れを引き,イブン・タイミーヤの学説に大きく影響されているといわれる。1744年あるいはその数年後,故郷を追われたが,ナジュドのダルイーヤに拠点を置くサウード家の保護を得,以後,サウード家の勢力拡張に伴って,彼の思想はアラビア半島に広まっていった。しばしば局外者が彼の名を冠してワッハーブ派と呼ぶこの運動は,近代におけるイスラム革新運動の先駆として,その後のイスラム世界に大きな影響を及ぼした。
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世界大百科事典(旧版)内のムハンマドブンアブドアルワッハーブの言及

【ワッハーブ派】より

…スンナ派に属し,法学上ハンバル派の立場をとる。創始者はナジュド出身のムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブ。彼はメディナおよびイラク,イランの各地に遊学し,一時はスーフィーとして知られたが,転向して14世紀のイブン・タイミーヤの思想的後継者となって故郷に帰った。…

※「ムハンマドブンアブドアルワッハーブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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