デジタル大辞泉
「イブンハンバル」の意味・読み・例文・類語
イブン‐ハンバル(Ahmad Ibn Hanbal)
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
イブン・ハンバル
いぶんはんばる
A
mad Ibn
anbal
(780―855)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
イブン・ハンバル
Ibn Ḥanbal
生没年:780-855
イスラムの法学者。スンナ派四法学派の一つハンバル派の祖。神学者,ハディース学者としても有名。アッバース朝創成時の軍隊の主力であったホラーサーン軍団の家に,バグダードで生まれる。そこで学び,イスラム世界を広く遊学し,ハディース学者として著名となった後,ムータジラ派の教義を承認せず厳しい迫害を受けた。彼の迫害に対する抵抗がムータジラ派の崩壊を導いた。主著はハディース集《ムスナド》。
執筆者:後藤 晃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
イブン・ハンバル
Ibn Ḥanbal
[生]780.11. バグダード
[没]855.7.31. バグダード
イスラムの伝承学者,法学者。イスラム法の四大学派のうちのハンバル派の祖とされる。 810~813年シャーフィイーにつき法学を学ぶが,師のシャーフィイーより伝承に固執した。 833年カリフ,マームーンの異端審問に抗して投獄される。預言者ムハンマドの言行 (ハディース) を約3万項目にもわたって『ムスナド』 Musnadに集録。ハンバル派はイブン・ハンバルの死後成立した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内のイブンハンバルの言及
【ハディース】より
…ハディースの徒が発達させたハディース批判の学は,イスナードの信憑性の吟味に終始し,そのために膨大な伝記集([タバカート])のつくられたことが,イスラム史学の一つの著しい特徴となっている。 初期の代表的なハディース集に,[マーリク・ブン・アナス]の《ムワッター》と,[イブン・ハンバル]の《ムスナド》がある。前者は婚姻,契約,ハッドなどの項目ごとにハディースを分類し,イスラム法の概要を述べるとともに,カーディーなどの裁判実務にも役立つよう編集され,このような形式をムサンナフという。…
※「イブンハンバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 