動物園(読み)ドウブツエン

デジタル大辞泉 「動物園」の意味・読み・例文・類語

どうぶつ‐えん〔‐ヱン〕【動物園】

世界各地から集めた種々の動物を飼育し、調査や保護、教育、娯楽などを目的に広く一般に見せる施設。
[補説]日本では、明治15年(1882)開園の上野動物園が最初。

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精選版 日本国語大辞典 「動物園」の意味・読み・例文・類語

どうぶつ‐えん‥ヱン【動物園】

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] zoological garden の訳語 ) 各地から各種の動物を集めて飼育し、一般の人に見せる施設。
    1. [初出の実例]「動物園には生ながら禽獣魚虫を養へり」(出典:西洋事情(1866‐70)〈福沢諭吉〉初)

動物園の語誌

挙例の「西洋事情」は文久二年(一八六二)幕府の遣欧使節としての見聞に基づいている。明治二年(一八六九)の村田文夫「西洋聞見録‐前」には「禽獣園」として紹介され、「動物園」の語が一般化するのは上野公園清水谷に日本で初めての動物園が設立された明治一五年以降のことである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「動物園」の意味・わかりやすい解説

動物園
どうぶつえん

生きた動物を収集・飼育し、繁殖させ、これを教育、レクリエーションなどのために一般の観覧に供する施設。大規模なものは動物公園ともいう。

[小森 厚]

歴史

王侯貴族が珍しい動物を集めて飼育し、これを見て楽しんだ例は、古くからエジプト、中国、ヨーロッパ、さらにはメキシコにあったアステカ帝国などにもその例が知られているが、近代動物園の始まりは、1779年にオーストリアのウィーンで、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世によって一般に公開されたシェーンブルン宮殿の動物園であるとされる。これは、先代のフランツ1世がその皇后マリア・テレジアのために、7年の歳月をかけてつくった動物のコレクションであった。1773年には、フランスでもパリで国立自然史博物館付属植物園ジャルダン・デ・プラントの一角にメナジュリーとよばれる動物飼育展示施設が公開されたが、これをもって近代動物園の始まりとする説もある。さらに1828年になると、イギリスでもロンドンのリージェント・パーク内に、ロンドン動物学協会によって動物園が開かれている。アメリカにおいては、1865年にニューヨークのセントラル・パーク内に小動物園が開かれたが、本格的な動物園として最初のものは、1874年に開かれたフィラデルフィア動物園であるとされている。

 このほか動物園の発生とかかわり合いのあるものには見せ物もあり、とくに15世紀ごろからヨーロッパ各地でみられるようになったベア・ピット、すなわち「クマの穴飼い」は、動物園の前身ともいえるものであった。また、貴族の動物コレクションが始まると、これらに動物を供給する動物商人が、手持ちの動物を有料で一般の展覧に供するようになり、ここにも動物園の発生がみられた。この種の動物園としては、1901年ドイツのハンブルクに開かれたカール・ハーゲンベック動物園がもっとも有名であり、ここは動物の馴致(じゅんち)、飼育展示などの技術面でも、動物園の発展に大きな影響をもたらしている。

 日本では、江戸時代に両国とか上野広小路などで、シカやクジャクなどを飼って、客に見せながら湯茶を供する花鳥茶屋(かちょうぢゃや)などというものがあった。これが動物園の原型とする説もあるが、これら花鳥茶屋は、現在もデパートなどで小動物を置いた屋上庭園などにその姿をとどめているとみられる。1871年(明治4)ウィーンで開かれた万国博覧会への出品物収集に端を発して、1873年に日比谷(ひびや)に近い山下門内(現在、帝国ホテルの南側の場所)に博物館が開かれたが、その中には生きた動物が飼育展示されていた。これが博物館とともに上野公園に移され、1882年に開園したのが上野動物園の成立で、日本の動物園の最初ということができる。

[小森 厚]

現状

第二次世界大戦によってヨーロッパや日本の動物園は壊滅状態となったが、戦後、平和を求める民衆の要望にこたえて急速に復興し発展を遂げてきた。しかし戦後においては、かつてはヨーロッパ諸国の植民地であったアフリカや東南アジアの諸国が独立し、開発が急速に進むなかで、動物園用の動物収集のあり方も大きく変化した。国際協力も重大課題となり、1945年には国際動物園園長連盟も発足し、日本においては、戦前に発足していた日本動物園水族館協会の組織が強化され、活動も活発となった。また、自然保護への配慮も動物園にとって重要なこととなり、希少動物の増殖について、動物園の技術に負うところが大きくなってきた。

 このように状況にあわせて、動物園においては、特定の動物の研究・増殖に力を入れる専門動物園ともいえるものが生まれてきた。日本においては、1956年(昭和31)に開設された日本モンキーセンターがそのよい例である。また、希少動物の保護増殖を目的として設立された施設で、一般に公開されるものも生まれてきている。1946年にイギリスに開設されたスリムブリッジ水禽園(すいきんえん)や、1959年に開園されたジャージー動物園が、その代表的なものといえる。一方、動物園の規模や展示技術も大きな発展を重ねてきた。檻(おり)に入れた動物を見るのでなく、観客が車の中から放し飼いの動物を見るという発想による多摩動物公園のライオンバス(1964)は、その後イギリスでサファリ型の動物園へと発展し、その後この種のサファリパークが急速に増えた。

 2002年(平成14)時点で社団法人日本動物園水族館協会に加盟している会員は、動物園97、水族館71である。『国際動物園年鑑』International Zoo Year book, Vol.36(1998)には世界で93か国、760以上の動物園(水族館を含む)の名があげられている。

[小森 厚]

意義

動物園が社会に果たす機能としては、従来、(1)教育、(2)レクリエーション、(3)研究、(4)自然保護の四つがあげられていたが、20世紀後半に入って、(5)自然認識の導入口としての役割が付加された。

(1)教育 動物園が教育の場であることは、すでに紀元前4世紀ごろのギリシアの動物園が教育目的に利用された記録があることからもうかがうことができる。日本でも、博物館の一種として博物館法の適用を受けているのもその現れである。動物園における教育は、教材がそこにあり生活しているというところに特徴があり、生きた博物館というよりも、さらに、動物の生活そのものをじかに示すことができる点でユニークである。この特徴を強化する意味で、ラベルによる解説、指導員による直接解説などの方法がとられており、海外の動物園では、特別な組織として教育部を設けているものも多い。しかし、これらの教育的機能が動物園独自で行われており、学校教育システムと直接結び付いていないことは、今後の大きな課題となるであろう。また、同じような意味で、目的を同じくする博物館や植物園との協力関係がかならずしも十分でない点も問題を残している。動物園が真の教育の場として機能するには、その特徴を生かしつつ、他の機関との密接な連携による活動が必要となろう。

(2)レクリエーション この機能もまた動物園の社会的機能の重要な柱である。人間の生活が機械化し、自然との隔絶が進めば進むほど、人々の自然希求の度合いは高まるといわれ、市民の身近な自然として動物園や植物園が存在するからである。この種の市民需要は今後ますます増大するものと考えられ、これらの需要に対応するためには、単に動物を展示するだけではなく、動物が自然的背景の中に生活する、いわゆる生態展示が必要となろう。この点では、都市型動物園から郊外型動物園への移行が世界的傾向となっているのが、その現れである。

(3)研究 これもまた動物園の重要な機能であり、学術上も欠くことのできない部分である。どうしても機会が少なく、詳細な研究対象としてとらえがたい野生動物を、身近に、しかも計画的に研究することが動物園では可能であるからである。ロンドン動物園に併設されているウェルカム比較生理研究所、ナッフィールド比較医学研究所などはその現れであり、アムステルダム動物園に大学の研究所が設置されているのも同じ目的によるものであろう。これらの研究成果は、人間医学のうえに役だつばかりでなく、野生動物の保護事業のうえにも大きく貢献している。

(4)自然保護 人類にとって自然保護はもっとも現代的な課題である。人間のとどまるところのない発展は、その反面、動物・植物を含む自然の状態を著しく圧迫しているからである。事実、1600年以後400年の間に鳥類のうち109種が絶滅し、哺乳(ほにゅう)類88種が消滅したという。この原因は、人間の開発による生息環境の破壊や狩猟などであるが、その基本には、動物に対する科学的知識の欠如が最大の理由として存在する。このような背景のなかで、動物園が果たす役割は、過去に積み上げてきた動物についての知識技術を保護活動に生かすことであり、また、絶滅の危機にある動物たちの最後の安息所として機能することであろう。さらに積極的には、絶滅の危機にある動物を増やし、ふたたび野生によみがえらせることも重要である。事実、アラビアオリックスハワイガン、シフゾウなど、動物園技術が役だった例は多く、日本でもトキ、ライチョウカモシカなどについて努力がなされている。このような取組みについては、国際自然保護連合(IUCN)が、新世界環境保全戦略(1991)のなかで「種と遺伝子資源を維持するために、生息地内と生息地外での保全を併用する必要があり、動物園は生息地外個体群の維持に重要な役割をもつ」とし、また、1992年の生物多様性条約では「種の野生復帰や生息地の回復・復原に関し、生息地内と生息地外の保護施設間での協力関係の強化」を掲げ、この分野における動物園の役割について明示している。これを受けて、日本の新生物多様性国家戦略(2002)においても「飼育栽培下における種の保存」を掲げ、生息地外における種の維持について動物園の役割を述べている。

(5)自然認識の導入口 この面で動物園の果たす役割は、人間の生活が機械的になればなるほど重要性をもつ。ヒトもまた自然の一部であり、自然を離れては生存しえないからである。大自然と隔絶しがちな市民生活のなかで、身近な自然としての動物園や植物園は、その存在によって、自然をヒトの心のなかに呼び戻す機能をもつ。動物園や植物園を訪れることによって、人間以外の生物の存在と営みを知り、自然の仕組みをかいまみる機会を得るのである。そしてまた、この需要にこたえるためには、動物園はより多くの自然をその中に取り込む努力が必要となろう。

[中川志郎]

展望

人間生活のなかで、動物園の存在は今後ますますその重要性を高めると思われる。しかし、その需要にこたえるためには、教育システムの確立、視聴覚技術の導入、生態展示への変換などが急務となり、また、動物の収集にあたっては、動物園どうしの国際的な協力による動物園動物の確保zoo stock systemが必要となろう。動物の保護については、種の保存的な機能を果たすことはもちろん、野生での保護のためにその技術を十分に発揮することが必要となる。また、展示にあたっては、動物そのものをみせることから、動物の生活をみせる方向に移行するものと思われる。

[中川志郎]

『G・ヴェヴァーズ著、羽田説子訳『ロンドン動物園150年』(1972・築地書館)』『中川志郎著『動物園学ことはじめ』(1975・玉川大学出版部)』『佐々木時雄著『動物園の歴史 日本編』『動物園の歴史 世界編』(1975、1977・西田書店)』『H・デンベック著、小西正泰・渡辺清訳『動物の文化史3 動物園の誕生』(1980・築地書館)』『マイルズ・バートン著、小原秀雄監訳『動物園と野生生物保護』(1990・佑学社)』『世界動物園機構ほか著、日本動物園水族館協会訳『世界動物園保全戦略 世界の動物園と水族館が地球環境保全に果たす役割』(1996・日本動物園水族館協会)』『渡辺守雄ほか著『動物園というメディア』(2000・青弓社)』『青山健一著『私の動物園勉強法』(2002・文芸社)』『増井光子著『動物が好きだから』(2003・どうぶつ社)』『菅谷博著『動物園のデザイン』(2003・INAX出版)』『市民ZOOネットワーク著『いま動物園がおもしろい』(2004・岩波ブックレット)』『小菅正夫著『「旭山動物園」革命――夢を実現した復活プロジェクト』(2006・角川書店)』『川端裕人著『動物園にできること――「種の方舟」のゆくえ』(文春文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「動物園」の意味・わかりやすい解説

動物園 (どうぶつえん)
zoo
zoological garden

動物園とは動物を収集飼育し一般に公開している施設であるが,日本では現在,博物館の一種とされる社会教育施設である。したがって博物館法で規定される趣旨に沿って運営されている。すなわち資料(生きた動物)を収集し保管し(飼育管理),展示して教育的配慮のもとに一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーションなどに資するために必要な事業を行い,あわせてこれらの資料に関連する調査研究を目的としている。同じ趣旨で国際博物館会議(ICOM)も動物園を博物館の一つのタイプと認めている。これは今日の姿であるが,動物園の歴史は必ずしも平たんなものではなく,いくつかの段階があったことを示している。

人類と動物との結びつきは古く,古代文明の中でも動物を集めて飼育している記録が残されている。例えばエジプト王朝やソロモン王の宮殿には動物の飼育場があったし,3000年も昔の中国でも征服者によって珍しい動物が集められ,〈霊囿(れいゆう)〉(一般には〈知識の園〉と称されるが,これはヨーロッパ語に翻訳された際の一種の誤訳である)と名付けられていたという。かつてはこれを動物園の原型とする説もあったが目的を異にするコレクションであって,科学との関連もなく,特権階級のみが入れる施設という点からも,動物園とは似て非なるものと思われる。中世ヨーロッバの王侯貴族による動物収集も同様に考えられる。

 近代動物園の起源は,一般に1765年に公開されたウィーンのシェーンブルン動物園Tiergarten Schönbrunnであるとされている。この動物園も実は,神聖ローマ帝国のフランツ1世が皇后のマリア・テレジアのため1759年に造ったもので,設立の動機はそれまでの王侯による珍獣コレクションと同じだった。しかし次の皇帝ヨーゼフ2世(1765-90)がこれを市民に開放したとされる(しかし本当の意味で一般市民に公開したかどうか疑わしい)。この一般に門戸を開くという点は動物園として欠くことのできない条件の一つと考えられている。

 同じく18世紀に公開されたパリのジャルダン・デ・プラント付属のメナジュリーménagerie(動物飼育場)も歴史上重要な位置を占めている。もともとジャルダン・デ・ロア(王室の庭)とよばれる薬草園兼植物園であったが,フランス革命後ジャルダン・デ・プラントと呼ばれ,さらに1793年に改組拡充されて国立自然誌博物館となり,その一隅に動物の飼育場が設けられた。ゾウやキリンはもちろん,りっぱな角をもつシカやカモシカの仲間,ウマや鳥類のコレクションにもすぐれていて,ヨーロッパの典型的な動物園の雰囲気を今にとどめている。ナポレオン時代に建てられたゾウ舎などが文化財として保存されていることも歴史の重みを加えている。このメナジュリーは科学的資料としての動物を集めたという点でそれまでのコレクションとは違っていたし,動物学研究という目的を当初から打ち出していた。またすべての市民に公開され,教育的な機能を果たすようになったという面でも,シェーンブルン動物園よりはるかにまさっていた。

 それは社会全体が市民を中心にまわり始め,科学そのものも大衆化することによって飛躍的な発展をする時代背景の中で,アリストテレス以来ほとんど進展していなかった動物学も例外ではなかったといえよう。奇しくもここに職員として《動物哲学》を著したラマルクがいてメナジュリーの設置に努力しているが,動物園が動物学発展のために果たした役割は大きく,研究者のための施設でもあったことを証明している。

 こうした事実と成果は世界の注目を集め,各国からこれを見にきた。たとえばイギリスのT.S.ラッフルズはこれに刺激され,後年ロンドン動物園を開設するために動き出したと推定されるし,万国博参加のために日本からやってきた田中芳男や福沢諭吉もこれを見学し,やがて日本に動物園をつくるときにここの印象を基にしたと考えられている。

 つまり動物園という啓蒙施設はこのメナジュリーを原型として,19世紀にヨーロッパやアメリカに広がり飛躍的な発展を遂げるのである。この次の段階として歴史上重要な役割を果たすのはロンドン動物園である。それはロンドン動物学会を構成した志ある人々の努力の結晶であった。1828年4月の開園はパリのメナジュリーより35年あとだが,これほど事前に計画が検討されたものはそれまでにはなかったし,いわゆる動物園の近代化を推進するための多角的な試みに挑戦しているのは特筆すべきであろう。第1に収集の対象が広くなり,系統的な視野でコレクションを考えはじめた。第2に長期間の飼育を目ざし,動物の生活条件を尊重した動物舎に改めたことである。第3に自然では観察できない習性などを見いだし,動物学の進歩のために役だつ施設になったことである。第4に一般市民に開放し,動物についての専門知識に触れる機会を与えたことである。今から考えると,冷暖房などの施設はきわめて粗末であるが,世界各地から動物を収集しそれを動物学協会が管理して,各専門家が協力しあい着実に実績をつみ上げるという一貫した運営方法が成功の源といえる。第1にあげた収集展示を例にあげると,動物界全体の正確な視野を得るために,1849年に爬虫類館(レプタイル・ハウス)を設け,53年に水族館(アクアリウム)を,81年には昆虫館(インセクタリウム)を開設している。

 今日なおロンドン動物園が世界の動物園界をリードしているのは多方面にわたる動物研究の実績をあげつつあるからで,ナフィールド比較医学研究所とウェルカム比較生理学研究所に研究者を擁する付属機関があって,これも動物学協会が運営しているのをみてもうなずける。その後イギリスやヨーロッパの各地に動物学協会が誕生し,動物園が次々と開設された。オランダのアムステルダム,ドイツのベルリン,ベルギーのアントワープなどの主要都市に設けられ,やがて1874年にアメリカにもできる(フィラデルフィア動物園)が,ロンドン動物園開設後54年にあたる82年に日本最初の上野動物園が開園する。2番目は1903年の京都市立動物園,3番目は15年の大阪天王寺動物園である。また58年には,日本で初めての本格的な無柵放養式を採用した多摩動物公園が開設された。その後これに刺激を受け,各地にこのサファリ形式の動物園(サファリ・パーク)がつくられるようになった。2006年現在,日本には動物園(日本動物園水族館協会に加盟しているもの)が91あるが,第2次大戦前は十数園にすぎず,戦後急激に各地に開設された。数の上ではアメリカに次ぐ世界第2の保有国である。初期の見世物としての動物園は欧米の模倣に近かったが,やがて日本独自の飼育法や展示が行われるようになった。

現在動物園の果たす社会的使命については次の四つに集約される。

(1)社会教育 生きている動物という実物教材をあらゆる年齢や階層の人に提供し,その要求にこたえる幅広い生涯学習の場でなければならない。つまり動物に関する情報を収集して,利用者の創造力を刺激し思考を豊かにする内容が必要である。そのためには積極的なプログラムが用意されていて,各園ごとに特徴をもたせる必要がある。例えばガイドツアー,一般向きの講演や映画会,サマースクール(一日飼育係),こども動物園による幼児と保母の指導,パンフレットや雑誌の発行,特別展の開催などがこれらの例である。最近ではこうした行事に力を入れる園が多くなり,学芸員がそれにあたっているところが増えている。例えばラベルを見やすくするくふうが,楽しみながら学べる効果をあげつつあることなどもその一例である。

(2)レクリエーション 健康的で明るい慰楽の場としての役割が動物園にはある。親子であるいは友人たちといろいろな動物を見て楽しむことは,それが科学的な目的のためでなくても,理屈ぬきで楽しいことである。人間には本来自然となんらかのかかわり合いをもちたい欲求があり,野生動物を見たいという感情があると考えられる。それは自身の人間形成にも必要であって,単に知識面ばかりでなく,こういうためにも利用できる場でなくてはならない。ただし,しばしば誤解されているのは,人間本位のショーのおもしろさと動物のもつ習性の意外性との混同である。人間の強制したアニマルショーは動物園の使命とは逆行するものであり,むしろ避けなければならないものである。

(3)研究 近代動物園の原点といえるロンドン動物園は,その目的の中に研究を明確にかかげている。私たちが自然界や特定の動物について調べようとするとき,フィールドで行えるものは決して多くない。そのために,野生動物を飼育することによって調べられることはきわめて大きく,そのデータによって生理生態,あるいは遺伝などの分野でも大きな成果があげられている。

 おそらく動物学の進歩は,ここ150年間の動物園での研究が大きくバックアップしてきたといっても過言ではあるまい。それがヒントになって,自然での状態を考えなおすことにも役だっているのを忘れてはならない。欧米では古くから動物園が大学や研究機関といっしょに成果をあげてきたが,近年日本でも共同研究という形での発表が増えつつある。またいくつかの園が協力して共通のテーマに取り組むケースも増えつつある。

(4)自然保護 かつて動物園はその動物を収集するために,それが間接的であっても野生動物を捕らえていたのは事実である。しかしそれは,動物を減少させ,自然界のバランスを崩すほどの数ではなかった。むしろ,その結果得たデータと教材としての価値がもたらしたものは計りしれないものになっていた。

 地球的規模の環境破壊は生態系をゆるがし,多くの動物の存在を危険にさらしはじめている。すでに絶滅のおそれのある野生動植物の取引に関する条約(通称ワシントン条約)や水鳥についてのラムサール条約を前提とした生物の多様性の保全と持続可能な利用をはかる国際条約が発効し,動物園は遺伝資源を保存する施設として,国際的に協力すべき機関として位置づけられている。最近開催された国際動物園会議では,近親繁殖を防ぐためのシンポジウムに白熱の論議がたたかわされ,国際的に動物の貸借をはかって,種の保存に努める具体的な方法などが論議されている。

 また実物を通して広い意味での保護思想を普及することこそ,これからの動物園の新しい使命であるとする主張から,多角的な教育活動が展開されつつある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「動物園」の意味・わかりやすい解説

動物園
どうぶつえん
zoological garden; zoo

動物を飼育し,教育,観賞などの目的で公開している施設。また動物の分類や生態などの研究機関を兼ねていることもある。動物を集めて飼育することは,古代の中国やエジプトなどで前10世紀にすでに行なわれており,また古代のギリシア,ローマ時代に貴族たちによって動物園的なものが開かれていた。広く一般に公開され,教育的な機能をもつ現代的な動物園は,19世紀に入ってロンドン(1828。→ロンドン動物園),アムステルダム(1838),ベルリン(1844。→ベルリン動物園・水族館)などに開かれた。日本では 1882年3月20日,東京府の上野公園の一隅に上野動物園の前身が開かれた。その後,京都市(1903),大阪市(1915),名古屋市(1918)などに相次いで開設された。日本動物園水族館協会に登録されている動物園数は 87(2014現在)。飼育,展示は,初期には檻やかごに入れて行なわれたが,しだいにできるだけ自然の姿で動物の生活を観察できるような生態園的な工夫が取り入れられた。また,各動物原産地の特殊な気候,環境をつくりだすため,冷暖房,光周期の調節機構をもつ飼育設備がつくられるようになった。近年は希少動物の保護,種の保存にも取り組んでいる。

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百科事典マイペディア 「動物園」の意味・わかりやすい解説

動物園【どうぶつえん】

動物に関する知識の普及や娯楽のために,多数の動物を収集飼育して観覧に供する施設。高等動物,特に鳥獣の飼育が多く,時に水族館,昆虫館を付設する。1752年開設のウィーンのシェーンブルン動物園が世界最初。日本では1882年(明治15年)開設の上野動物園が最も古い。金網や鉄棒を取り去って動物をできるだけ自然に近い環境で飼育する方向にあり,日本では1958年発足した多摩動物公園を手本に多くのサファリパークが作られている。近年では絶滅の危険のある野生動物の種の保存施設としての役割が重視されている。
→関連項目サファリ

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