グレンビル(英語表記)Grenville, George

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グレンビル」の意味・わかりやすい解説

グレンビル
Grenville, George

[生]1712.10.14.
[没]1770.11.13. ロンドン
イギリスの政治家。オックスフォード大学で学び,弁護士を経て 1741年政界に入った。海軍主計長官をつとめたのち,海相 (1762~63) 。 63年ビュート (伯)推薦により,彼の跡を継いで首相となった。アメリカ植民地に対する課税政策に積極的姿勢を示し,彼が制定を働きかけた「歳入法」 (64) ,「印紙税法」 (65) はアメリカ植民地の反発を招いた。また,『ノース・ブリトン』紙でビュートとジョージ3世を攻撃した J.ウィルクスを告発し (63) ,「ウィルクス事件」の発端をつくった。 65年の摂政法取扱いの不手ぎわなどで国王の不興を買い,同年辞職した。

グレンビル
Grenville, William Wyndham, Baron Grenville

[生]1759.10.25.
[没]1834.1.12. バッキンガムシャー,ドロップモア
イギリスの政治家。首相をつとめた G.グレンビルの3男。 1782年下院に入り,翌年従弟ピット (小)内閣の軍事支払総監。 89年下院議長。 91~1801年外相として革命期の対フランス外交を担当。のちピットから離れ,ピットの死後,06年 J.フォックスと結んで「挙国実力者内閣」を組織。翌年奴隷貿易を廃止したがカトリック教徒解放をめぐって内閣は分裂し,07年辞任。以後ホイッグ党右派の指導者として,政治活動を続けたが 23年引退。

グレンビル
Grenville, Sir Richard

[生]1542.6.15.
[没]1591.9.
イギリスの軍人提督。 W.ローリーの従弟。バージニア植民のために派遣された艦隊指揮やイギリス西岸防備に活躍したが,1591年8月 31日,アゾレス諸島にスペイン艦隊を襲撃した際,乗艦の『レベンジ』号が孤立に追込まれ,15隻のスペイン艦隊と 15時間に及ぶ激戦を交えた末,重傷を負い,捕えられて数日後に死んだ。この激戦の様子とその最期は,A.テニソンの詩"The Revenge"によって有名。

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