ムハンマド・ホスニムバラク(その他表記)Muhammad Hosni Mubarak

現代外国人名録2016 の解説

ムハンマド・ホスニ ムバラク
Muhammad Hosni Mubarak

職業・肩書
政治家,軍人エジプト大統領

国籍
エジプト

生年月日
1928年5月4日

出生地
ミヌフィア県

学歴
エジプト陸軍士官学校〔1949年〕卒,エジプト空軍士官学校〔1950年〕卒

経歴
1950年空軍に入り、ソ連留学を経て、’67年空軍士官学校校長、’69年空軍参謀長、’72年空軍司令官。’73年の第4次中東戦争では、イスラエル軍防衛陣地への電撃作戦で戦局を有利に導く。’74年空軍元帥。’75年4月47歳でサダト政権で副大統領に就任。’81年10月10日、暗殺されたサダト大統領の後継者に推薦され、同月13日の国民投票で新大統領として信任された。’82年国民民主党(NDP)総裁(党首)。対イスラエル和平路線推進を基礎とするサダト路線を原則的に踏襲する一方、’89年アラブ連盟に復帰。’89〜90年、’93〜94年アフリカ統一機構(OAU)議長。’91年1月の湾岸戦争では反イラクの先鋒となり多国籍軍に参加。2005年9月エジプト初の大統領直接選挙で5選を果たす。2007年憲法改正を行い、大統領の権限をさらに強化した。2011年2月エジプト騒乱(大規模デモ)を受けて11日大統領を辞任し、軍の最高評議会に権限を渡す。5期30年にわたり強権支配を続けた。同年4月汚職や公金横領などの罪で拘束。2012年6月終身刑判決を受けるが、2014年11月のやり直し裁判公訴棄却となり事実上無罪となる。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵mini の解説

ムハンマド・ホスニ・ムバラク

エジプトの元大統領。1928年、エジプト北部のメヌフィヤ県生まれ。空軍司令官などを務め、75年に当時のサダト大統領によって副大統領に任命された。イスラエルと平和条約を結んだサダト大統領が81年にイスラム過激派によって暗殺されると、同年中に行われた国民投票で大統領に選出された。外交では軍を後ろ盾に親米路線をとり、イスラエルとの関係を維持して米国の中東政策にも重要な役割を果たした。国営企業の民営化を行い、一定の経済成長を実現する一方、逮捕状なしで身柄拘束が可能な非常事態法などによる強権政治を進めた。しかし、2011年2月に起こった民主化運動「アラブの春」と大規模な反政府デモにより退陣。その後、デモ隊殺害に関与した罪で終身刑が言い渡されるが、17年にエジプトの最高裁に当たる破棄院が無罪を言い渡し、釈放された。20年2月25日に91歳で死去

(2020-2-27)

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367日誕生日大事典 の解説

ムハンマド・ホスニ ムバラク

生年月日:1928年5月4日
エジプトの政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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