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湾岸戦争 わんがんせんそう Gulf War

翻訳|Gulf War

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

湾岸戦争
わんがんせんそう
Gulf War

1990年8月2日,イラクによるクウェート侵攻をきっかけとした国際紛争イラクの指導者,サダム・フセインクウェートへの侵攻と占領を命じた。明らかに同国の大規模な埋蔵石油資源を獲得することが目的であった。

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知恵蔵2015の解説

湾岸戦争

1990年8月のイラクのクウェート侵攻以降、国連安保理は再三にわたって撤退を要求、同年11月、翌91年1月15日までに撤退しない場合は武力行使を加盟国に認める決議を成立させた。期限切れ直後、米軍を主力とする多国籍軍のイラク空爆で戦争が開始された。戦局は多国籍軍の圧倒的優位のうちに推移、同年2月末にはクウェートからイラク軍が一掃されて停戦が成立した。だが、敗北にもかかわらずフセイン体制は存続。フセイン体制をいかにすべきかという問題が残った。湾岸戦争は問題の解決ではなく、イラク戦争への通過点であった。この戦争が示したのは米軍の圧倒的な強さであった。日本、ドイツアラブ産油諸国による戦費の負担も特記されるべきである。米国のたどり着いた軍事力の高みと、当時の経済力の凋落(ちょうらく)を示した戦争でもあった。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

わんがん‐せんそう〔‐センサウ〕【湾岸戦争】

イラクにより侵略・占領されたクウェートの解放をめぐる戦争。イラクは1990年8月、クウェートに侵攻して占領。国際連合による撤兵決議に応じなかったため、国際連合の決議によって編制された米国を中心とする多国籍軍が、1991年1月イラクに対して攻撃を開始し、2月末までにクウェート全土を解放した。

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百科事典マイペディアの解説

湾岸戦争【わんがんせんそう】

1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻し,これに反発した国によって米軍を主力とする多国籍軍が組織され,クウェートからのイラク軍の撤退を求めた。しかし,イラク政府が応じなかったため,国連安全保障理事会の武力行使容認決議を後ろ楯に,多国籍軍は1991年1月17日にイラクへの空爆を開始し湾岸戦争が始まった。
→関連項目アメリカ合衆国イラクウサマ・ビン・ラディンF117Aステルス戦闘機海部俊樹内閣クウェート(国)クウェート(都市)国連軍シリアスカッドステルス中東パウエルバグダッドバスラパトリオットパレスティナ自治政府パレスティナ問題PLOファハド武器輸出フセインブッシュ陸軍戦術ミサイルシステムレーザー兵器劣化ウラン弾

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外国為替用語集の解説

湾岸戦争

1991年1月17日~2月28日、イラクと多国籍軍との戦争。1990(平成2)年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻、占領。国連安全保障理事会は、経済制裁を決議、1991年1月15日までにクウェートからの無条件撤退をもとめたが応じず、1月17日、多国籍軍はイラクに対する空爆、ミサイル攻撃を開始(砂漠の嵐作戦;operation desert storm)。2月26日、イラク軍はクウェートから敗走、2月28日戦闘停止。3月3日、イラク代表が暫定休戦協定を受け入れ、4月6日、停戦に合意するが、その後イラクは停戦協定を守らず、2003年のイラク戦争に繋がる。

出典|(株)マネーパートナーズ
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世界大百科事典 第2版の解説

わんがんせんそう【湾岸戦争 Gulf War】

1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻,これを併合したことから,アメリカを中心とした多国籍軍が,クウェートからイラクを撤退させるために起こした戦争。
湾岸危機
 イラクは対クウェート越境攻撃を行うにあたって,〈クウェートで革命勢力による暫定政権が樹立され,その要請を受けて進軍〉とその行動を正当化したが,国際社会の多くはこれを侵略と見なした。特にアメリカは米ソ冷戦構造終結後の初めての紛争処理ケースとして断固たる姿勢で望み,侵攻の4日後には国連安保理でアメリカの強い主導のもと対イラク経済制裁(決議661)が決定されるなど,国連を中心としたイラク非難の国際世論形成が徹底された。

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大辞林 第三版の解説

わんがんせんそう【湾岸戦争】

1990年8月イラクのクウェート侵攻に始まり、91年1月から2月にかけてのアメリカを中心とする多国籍軍とイラク軍との間で行われた戦争。イラクの敗北で停戦。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

湾岸戦争
わんがんせんそう
Gulf War

1990年8月2日のイラクのクウェート侵攻に端を発し、翌91年1月に米欧軍を主とする多国籍軍のイラク攻撃によって起こった戦争。「クウェートは歴史的にみて自国の領土である」などといった論理に基づくイラクの侵攻による湾岸危機に対して、アメリカはただちに国連安全保障理事会の開催を求めた。安保理は、イラクの行動を非難するとともにイラクの即時無条件撤退を要求する決議を採択、さらに対イラク経済制裁決議、イラクのクウェート併合不承認決議、イラク空域封鎖決議、対イラク武力行使容認決議などを相次いで成立させた。安保理で米ソが拒否権を使わず一致してこれらの決議に賛成票を投じたのは、冷戦時代にはみられなかったことである。またアメリカ大統領G・H・W・ブッシュは、8月7日にサウジアラビア防衛支援の名目でアメリカ軍の派遣を決定、同盟国、友好国に軍事的・財政的協力を強く要請した。
 こうしてアメリカ軍50万を中核とする多国籍軍は、1991年1月17日にイラク攻撃の「砂漠の嵐」作戦を決行し、湾岸戦争の火ぶたが切られた。多国籍軍は、圧倒的な軍事力によってイラク軍をクウェートから撤収させ、続いて、イラクの軍事・産業施設を破壊した。そして2月28日、G・H・W・ブッシュ大統領の停戦命令で、危機発生から210日、戦争勃発(ぼっぱつ)から43日、地上戦突入から100時間で、湾岸戦争は事実上の終結をみた。アメリカ政府は、戦争をきっかけに新世界秩序(New World Order=NWO)構築を掲げたが、その展望は開けなかった。この戦争を要約すると、湾岸におけるイラクの大国主義(覇権主義)に、世界の憲兵を自負するアメリカの大国主義(覇権主義)が過剰に対決し、これを国連の大国主義が追認する形をとったもの、といえる。戦後、フセイン政権は、国連の経済制裁(96年12月、イラクの人道的物資購入のため石油輸出は部分的に解除)で苦境に立ちながらも、アメリカなどとの対決姿勢を保ちつつ存続したが、2003年のイラク戦争で米英両軍の攻撃を受け、ついに崩壊した。[奥野保男]
『ラムゼー・クラーク著、中平信也訳『ラムゼー・クラークの湾岸戦争』(1994・地湧社) ▽F・N・シューベルト、T・L・クラウス編、滝川義人訳『湾岸戦争砂漠の嵐作戦』(1998・東洋書林) ▽国正武重著『湾岸戦争という転回点』(1999・岩波書店)』

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世界大百科事典内の湾岸戦争の言及

【オマーン】より

…ペルシア湾岸の他のアラブ諸国とともに,域内安全保障を目ざす湾岸協力会議(GCC)を構成するが,オマーンの親米政策は,超大国の保護や陸上基地の排除を主張する他の構成国の立場と一致しなかった。小国オマーンが独自の政策をとれたのは,歴史的・地理的にアラブ世界の主潮流の外に位置していたためであるが,91年の湾岸戦争後のアメリカ軍の湾岸プレゼンス拡大に,先導的役割を果たしたといえる。 国民の8割は零細な農・漁業に従事する。…

【CNN】より

…短いが激烈な競争の末,83年ターナーはこの会社を買収,最終的に潰してしまう。また,マス・メディアを意識して行われた湾岸戦争(1991)で,イラク政府が唯一バグダードに在留,報道の許可を与えたアメリカの媒体はCNNだった。そのことについては,何らかの裏取引の可能性を議会で追求されるなどしたが,CNNの国際的影響力の強さをイラクが認知したことは明らかである。…

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