現代外国人名録2016 「ラビアカーディル」の解説
ラビア カーディル
Rabiya Kadeer
- 職業・肩書
- 人権活動家 世界ウイグル会議主席
- 生年月日
- 1946年11月15日
- 出生地
- 中国・新彊ウイグル自治区アルタイ
- 経歴
- 15歳で銀行員と結婚するが、文化大革命中の内職が発覚して離婚。その後、新彊ウイグル自治区で貿易会社やデパートなどビジネスに成功して中国十大富豪の一人にまで数えられた。1996年全国政治協商会議で政府のウイグル抑圧を非難した演説を行ったことを契機に弾圧を受け、’99年投獄される。2000年国家安全危害罪で懲役8年の実刑判決を受け、服役。米国の圧力で2005年釈放され米国に亡命。2006年在外ウイグル人の国際組織・世界ウイグル会議主席に就任、“ウイグルの母”と呼ばれ、ウイグル女性の人権擁護を訴える。ノーベル平和賞の候補にもなった。中国政府は2009年7月のウルムチ暴動の首謀者だとして非難。2007年、2009年、2012年、2013年、2015年来日。自伝「ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝」がある。米国に亡命した現在の夫との間も含め11人の子供がいる。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報