レホンフォン(その他表記)Le Hong Phong

改訂新版 世界大百科事典 「レホンフォン」の意味・わかりやすい解説

レ・ホン・フォン
Le Hong Phong
生没年:1902-42

インドシナ共産党の初期指導者。本名レ・フイ・ゾアン。妻はボー・グエン・ザップの妻の姉グエン・ティ・ミン・カイ。ゲアン省フングエン県の農家の生れ。1924年抗仏組織タムタム社(1923設立)に参加,その後ホー・チ・ミンの指示により中国の黄埔軍官学校ソ連のパイロット養成学校などで軍事理論,マルクス=レーニン主義を学んだ。34年コミンテルンの指示に従ってベトナムの国外にインドシナ共産党指導委員会が設立されるとその委員長となり,ベトナム国内で分裂した党組織の再統一にあたった。35年のコミンテルン第7回大会には党代表団の団長として参加,37年末帰国してサイゴンのチョロン地区で革命運動を直接指導したが,39年フランス官憲に逮捕され,42年獄中で病死した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 文雄 五島

20世紀西洋人名事典 「レホンフォン」の解説

レ・ホン・フォン
Le Hong Phong


1902 - 1942
ベトナムの政治家。
元・インドシナ共産党指導委員会委員長。
ゲアン省フングエン県生まれ。
本名レ・フイ・ゾアン。
インドシナ共産党初期指導者。1924年抗仏組織タムタム社に参加後、ホー・チ・ミンの指示で中国の黄埔軍士官学校、ソ連のパイロット養成学校などで軍事理論、マルクス=レーニン主義を学ぶ。’34年コミンテルンの指示によりベトナムの国外にインドシナ共産党指導委員会設立と同時にその委員長となり、分裂後の再統一にあたる。’35年コミンテルン第7回大会で党代表団の団長として参加。’37年帰国してサイゴンのチョロン地区で革命運動を指導するが、’39年フランス官憲に逮捕され、’42年病気のため獄中で死去

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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