ロケット号(読み)ろけっとごう(その他表記)Rocket

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロケット号」の意味・わかりやすい解説

ロケット号
ろけっとごう
Rocket

イギリスのG・スティーブンソンが息子ロバートと協力して1829年に製作した蒸気機関車。重量4.3トン、動輪直径1435ミリメートル、一対の動輪をもつA‐1形。世界最初の鉄道会社リバプール‐マンチェスター鉄道が営業用に使用する機関車を決定するコンテストを1829年レインヒルで行ったのに、スティーブンソン親子はロケット号で挑戦し、出場した他の二台をおさえて時速46キロメートルで完走し、優勝賞金500ポンドを獲得、正式機関車に採用された。優勝したのはボイラーを改良したからで、ピストン・シリンダーに送り込む蒸気を多く発生させるため、ボイラーの中に細い煙管をたくさん通し、これが成功した。ロケット号には揺れが大きい欠点があったので、乗り心地をよくするために、ロバートは1830年車輪配列1‐A‐0でシリンダーをボイラーの下に移したプラネット号をつくった。

[吉村光夫]

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百科事典マイペディア 「ロケット号」の意味・わかりやすい解説

ロケット号【ロケットごう】

1829年,英国のマンチェスター〜リバプール鉄道の開通(1830年)に先立って行われた機関車競走の優勝車。スティーブンソン父子が製作。傾斜した2個のシリンダーをもち,単動輪,初めて煙管ボイラーを採用,運転整備重量4.32t,炭水車3.25t。近代的機関車の基本構造を具備している。
→関連項目蒸気機関車スティーブンソン

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世界大百科事典(旧版)内のロケット号の言及

【蒸気機関車】より

…しかし蒸気機関車が馬車鉄道よりはるかに優れたものとして真に認められるようになったのは,これより4年後の29年,リバプールとマンチェスター間の鉄道開設時の懸賞運転で,G.スティーブンソンが息子のロバートとともに作ったロケットRocket号が他の2台の機関車を押さえて優勝し,その優れた性能が確認されてからである。ロケット号は客車1両を引いて最大時速46kmで48kmを完走したが,ボイラー構造や車輪に動力を伝達する機構などは現在の蒸気機関車と大差なく,以後,蒸気機関車は急速に進歩発達を遂げるようになった。 日本には天保年間(1830‐44)ころから蒸気機関車に関する知識が伝わっていたが,それが具体的に深まる契機となったのは,蒸気機関車の模型がもたらされてからである。…

【スティーブンソン】より

…1813年に炭鉱主から蒸気機関車の製作を委託され,14年にブリュッヘル号の試運転に成功,また15年には坑内安全灯を発明した。23年に機関車製作工場を設立し,25年に同工場で製作したロコモーション号がストックトン~ダーリントン間において世界最初の旅客列車を牽引,さらに29年にはリバプール~マンチェスター間で行われた機関車コンクールへ息子R.スティーブンソンと製作したロケット号を出し,優勝した。この機関車と鉄道敷設技術によって,30年に同区間の営業が開始され,大量輸送機関としての鉄道の地位が不動のものとなった。…

【鉄道】より

…しかしリバプール・マンチェスター鉄道では,開業にあたって蒸気機関車の採用を決定,29年数両の機関車による懸賞競走をリバプールの近くのレーンヒルで実施した。この競走でスティーブンソンのロケット号が優勝し,30年彼の機関車によってこの鉄道は開業した。ロケット号はすでに機関,動力伝達方式ともに,その後の蒸気機関車の基本的な構造を備え,安全かつ能率的な性能を発揮することができた。…

※「ロケット号」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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