蒸気機関を原動機とする機関車。略してSLともいう。
[松澤正二]
蒸気機関を鉄道車両に応用して蒸気機関車をつくったのは、イギリスのトレビシックで、1804年初めてレールの上を走らせた。その後、1825年にスティーブンソンのロコモーション号は、ストックトンとダーリントン間で世界最初の鉄道営業運転に使用された。さらに、1829年、スティーブンソンの息子のロバート・スティーブンソンのつくったロケット号が、リバプールとマンチェスター間で使用する機関車の競作で優勝し、翌年からの営業運転に使用されてから、蒸気機関車の優れた性能と、その実用化の可能性が一般に認識されるようになった。
このロケット号の構造は、スティーブンソン式弁装置を有し、煙管式ボイラー、燃焼をよくするための排気機構、ピストンの力を直接主連棒により動輪に伝える方式など、機関車の機構の基本となりうるものをもっていた。その後の蒸気機関車は、これらが踏襲され幾多の改良が加えられて発達し、世界の鉄道の発展の原動力となった。
日本での実用の蒸気機関車は、イギリスに遅れること47年の1872年(明治5)新橋―横浜間の開業に先だち、前年にイギリスから輸入された10両が最初である。1880年に北海道の幌内鉄道(ぽろないてつどう)がアメリカから、89年に九州鉄道がドイツから、それぞれ機関車を鉄道技術とともに輸入し、その後も官設鉄道をはじめ各私設鉄道でも引き続いて輸入した。国産最初の機関車は、1893年に官設鉄道の神戸工場でイギリス人技師の指導により製作された機関車(860形)が第1号である。続いて1895年北海道炭礦(たんこう)鉄道で、日本人だけの手で製作された機関車「大勝号」(7150形)が第2号である。
その後民間の機関車製造会社も設立され、国産も盛んに行われた。1906年(明治39)鉄道国有化後に形式が標準化され、機関車製造技術も向上し、国産奨励のためから、大正以降は特別な機関車を除いては、すべて国産されることになった。本格的な国産機関車は1913年(大正2)の貨物用9600形であり、翌年の旅客用8620形である。1919年には当時の狭軌鉄道では最大の動輪径1750ミリメートルをもつ幹線旅客用C51形が、23年には強力な幹線貨物用D50形が製造され、世界的水準に達した。
昭和に入り1928年(昭和3)世界的な趨勢(すうせい)により、3シリンダーのC53形急行旅客用機関車が幹線用に製造された。それまでの機関車の設計と使用実績から研究と改善の結果、36年以降、標準近代形機関車として、幹線貨物用D51形、同旅客用C57形、幹線旅客用C59形、同貨物用D52形、ローカル線万能機のC58形などが続々と製造され、蒸気機関車の最盛期と同時に第二次世界大戦を迎えた。戦後は急増する旅客輸送に対応するため、幹線旅客用では、日本最大のC62形が、勾配(こうばい)区間用としてE10形が製造されたが、これを最後に動力の近代化のため新規製造は打ち切られた。
鉄道の発展に寄与してきた蒸気機関車は、構造が比較的簡単なうえじょうぶで、製作費も安く、かなり無理な運転が可能などの特長があるが、エネルギー効率が悪く、そのうえ煙の排出により乗務員・乗客に不快感を与え、保守、運用にも難点が多く、ついに効率のよい電気機関車やディーゼル機関車に職場を譲った。現在、鉄道先進国においては蒸気機関車はほとんど使用されていない。
[松澤正二]
テンダー機関車とタンク機関車がある。テンダー機関車は、石炭と水を積載する炭水車(テンダー)を連結しているため、長距離運転に有利であるが、前進方向が運転正位のため、折り返し運転には転向装置(ターンテーブル)が必要である。タンク機関車は、炭水車を有せず、機関車の一部に石炭と水を積載するため、炭水の量が少なく長距離の運転には向かないが、前後進が容易な利点がある。なお、炭水の量によって機関車の重量が変化するので、牽引(けんいん)力にも影響がある。
[松澤正二]
旅客用、貨物用、入換え用がある。旅客用は高速運転の必要から、動輪数が少なく動輪直径が大きい。貨物用は牽引力を大きくする必要から、動輪数が多く動輪直径が小さい。入換え用は小型のタンク機関車が用いられる。なお、勾配区間では旅客列車用にも貨物用の機関車を充当し、また、重量列車の牽引には2~3両の機関車を連結した重連運転を行うこともある。
[松澤正二]
飽和式と過熱式とがある。飽和式は、ボイラーで発生した蒸気をそのまま使用するもの。過熱式は、飽和蒸気を過熱管でさらに高温処理をして使用する方式である。明治末からはすべて効率のよい過熱式が使われている。
[松澤正二]
複式と単式がある。複式は、一度シリンダー内で使用した蒸気を、もう一度他のシリンダーで使用する方式である。単式は、1回の使用で排出する方式で、新型機関車は大部分が過熱式の単式である。
[松澤正二]
(1)左右に1個(1対(つい))の2シリンダー式、(2)中央にもう1個を有する3シリンダー式、(3)2対のシリンダーをもつ4シリンダー式(マレー式を除く)がある。普通は2シリンダー式である。
[松澤正二]
(1)シリンダーと走り装置を2組もったマレー式機関車、(2)歯形レールを使って走るアプト式機関車、(3)前後の2台の炭水車に走り装置をもち、それらをボイラーの台枠で橋渡ししたガラット式機関車、(4)シリンダーを縦位置に取り付けて、クランク軸の傘形歯車で動輪を回すシェイ式機関車、(5)据え付けのボイラーから蒸気だけをタンクに充填(じゅうてん)して走る無火(むか)機関車などがある。
[松澤正二]
大別すると、台枠、ボイラー、走り装置、ブレーキ装置、補助装置、運転室、炭水車などに分けられる。
[松澤正二]
機関車の骨格に相当するもので、ボイラーと運転室が据え付けられ、シリンダーとこれに関連する走り装置、前後輪の台車、連結器などが取り付けられている。
[松澤正二]
蒸気発生装置で、横長の円筒形状のもの。運転室側には火室があり、そこから燃焼ガスを導く煙管(えんかん)と、その周囲の水の入る缶胴と、ガスや煙を排出する煙突のある煙室部から成り立っている。ボイラーの付属機器には給水温め器、給水ポンプ、注水器などがある。
[松澤正二]
シリンダー内のピストンを円滑に往復させる弁装置と、ピストンの往復運動を動輪へ回転運動に変えて伝える主連棒や、動輪などから成り立っている。
[松澤正二]
運転の安全を確保するため、速度の調整と停止に必要な機構。ブレーキ装置の制動力を加減させる部分と、これを伝える部分とから成り立っている。付属機器には空気圧縮機がある。
[松澤正二]
機関車の運転操作をするところである。全体を覆う屋根と囲みからなり、火室に面して左側が機関士席、右側が機関助士席である。機関士席には加減弁ハンドル、ブレーキ弁ハンドル、逆転機ハンドルなど運転操作に必要な機器類があり、中央上部には各種圧力計、蒸気分配箱、水面計などがある。助士席には注水器がある。また、中央下部には火室のたき口とその操作機器がある。これらは、機関車が正常な運転を続けるに必要な各部の状態の看視機能と補助機能の機器類である。
[松澤正二]
運転に必要な石炭と水を積載する車両。一般には機関車の付属物として、機関車に含まれるものとされている。
[松澤正二]
たき口から火室内に投入された石炭(重油燃焼はバーナーによる)は、燃焼室(火室)で燃焼する。そこで生じた燃焼ガスと煙は大煙管と小煙管を通り、煙管周囲の水に熱を与え蒸気を発生させて、煙室から煙突によって排出される。
発生した飽和蒸気は蒸気ドームにたまり、機関士が発車のため加減弁ハンドルを引くと、蒸気は加減弁から乾燥管を通って過熱管寄(かねつかんよ)せに入り、過熱管より大煙管内を2往復して過熱蒸気(300℃前後)となり、ふたたび別の過熱管寄せから蒸気管を通ってシリンダー内に入る。
シリンダーに入った蒸気は、弁装置によりピストンの前後に交互に入り、ピストンを往復させて、吐出し管から煙突を通って外へ排出させる。このときに煙室内の燃焼ガスや煙を誘い出して、火室の火床上の通風をよくする。
ピストンとピストン棒の往復運動は、滑り棒を滑るクロスヘッドとこれに結ばれた主連棒によって、主動輪のクランクピンに作用して回転運動となり、動輪が回転する。同時に連結棒に結ばれた他の動輪も回転する。
[松澤正二]
『久保田博著『最新鉄道車両工学』(1982・交友社)』▽『日本国有鉄道編『鉄道辞典』(1958・交通協力会)』
ボイラーをもち,蒸気機関を原動機とした機関車。日本では英語のsteam locomotiveの頭文字をとってSLと略称されることも多い。
蒸気機関で車輪を回して走る蒸気車が出現したのは,J.ワットが蒸気機関を発明してまもなくの1769年で,フランスのN.J.キュニョーによって試みられ,ふつうの道路を時速3.6kmの速さで15分間走行したといわれている。蒸気機関車を発明したのはイギリスのR.トレビシックで,彼はそのころ広く敷設されていた馬車鉄道に着目し,そのレール上を走る蒸気機関車を1804年に製作した。08年には公開実験も行われたが,当時のレールでは機関車の重さに耐えられず,トレビシックの考案は注目を浴びるまでには至らなかった。14年ころから蒸気機関車の研究と製作を進めていたG.スティーブンソンは,25年ストックトン~ダーリントン間に世界初の公共鉄道が開通したとき,彼の製作になるロコモーションLocomotion号を開業式当日自ら運転し,90tの列車を毎時16~19kmで運転してその実用性を世に示した。しかし蒸気機関車が馬車鉄道よりはるかに優れたものとして真に認められるようになったのは,これより4年後の29年,リバプールとマンチェスター間の鉄道開設時の懸賞運転で,G.スティーブンソンが息子のロバートとともに作ったロケットRocket号が他の2台の機関車を押さえて優勝し,その優れた性能が確認されてからである。ロケット号は客車1両を引いて最大時速46kmで48kmを完走したが,ボイラー構造や車輪に動力を伝達する機構などは現在の蒸気機関車と大差なく,以後,蒸気機関車は急速に進歩発達を遂げるようになった。
日本には天保年間(1830-44)ころから蒸気機関車に関する知識が伝わっていたが,それが具体的に深まる契機となったのは,蒸気機関車の模型がもたらされてからである。1853年(嘉永6)開港を求めて長崎に入港したロシア使節E.V.プチャーチンは蒸気機関車の小型模型を披露し,翌年2度目のペリー来朝のときには将軍家定へフィルモア・アメリカ大統領から蒸気機関車と客車の模型が献上され,横浜の応接所裏でアメリカ人による運転が行われており,55年(安政2)には佐賀藩によって模型の製作,運転もなされた。72年(明治5)品川~横浜間に鉄道が開業したが,機関車は前年にイギリスから輸入したものを使用した。87年には,初めてアメリカ製機関車が輸入され,以後しだいにアメリカ製が多くなるが,ドイツ,スイスからも数は少ないが輸入されている。国産機関車は,92年鉄道監察方であったイギリス人,R.F.トレビシックの指導のもとに鉄道庁・神戸工場で1B1形飽和複式機関車(860形式)が製作されたのが最初で,明治の終りには,国内製作の方針と機関車工業の発達によって,輸入しなくてもすむようになり,1913年には国産で最初の過熱機関車1D形の9600形式が製造された。
蒸気機関車は,陸上交通機関の雄として長年にわたって活躍し,その両数の増大とともに,牽引力,速度,熱効率などの性能向上も盛んに研究され,いろいろなタイプのものが考案され実用化された。しかし,第2次世界大戦を境にしてしだいに衰退の一途をたどることになる。これは,ディーゼル機関や電動機が発明され,第1次世界大戦ころから機関車に適するような軽量,小型,大出力のディーゼル機関などの開発と液体変速機などの動力伝達装置の急速な発展が相まって,優れたディーゼル機関車や電気機関車が出現するようになったためである。ディーゼル機関車や電気機関車に比べると蒸気機関車は,熱効率が低いため動力費がかさみ,また給水・給炭作業を比較的頻繁に行う必要があるので長距離走行には不利で,機関車運用効率が悪く折返し時間も長くかかる。また低速での引張り力が低く,運転操作も容易ではなく,多量のばい煙は旅客からきらわれるなどの欠点が目だち,しかも安価で豊富な石油が得られたことも蒸気機関車には不利に働き,しだいにディーゼル機関車や電気機関車に置き換えられるようになった。とくにアメリカでは積極的なディーゼル化が進められ,他の各国も程度の差はあっても蒸気機関車を廃するようになり,現在,蒸気機関車を主力として使用している国はきわめて少なくなっている。日本でも,1936年にはおよそ8700両,第2次大戦終戦後も5000両を超えていた蒸気機関車は,60年から始まった国鉄(現JR)の動力近代化によって急減し,76年には営業運転を停止した。現在では梅小路機関区に代表形式が保存されている。なお私鉄の大井川鉄道など,一部では蒸気機関車の運転が行われているものの,これはあくまで観光客を対象にした例外的なものである。
蒸気機関車は,炭水車の有無,用途,使用蒸気の性質,蒸気の使用方法,車輪の配置などによって分類される。
ボイラー付きの車体自身に石炭や水を積み込めるものをタンク機関車,燃料や水は炭水車と呼ばれる車に積み込み,これをボイラー付車体と連結したものをテンダー機関車という。前者は主として短距離用で,前後の見通しも利くから入換え用としても適しており,後者はボイラーや炭水車を大型にできることから重量列車や長距離用として使用される。一般に高速旅客列車用としては動輪径を大きくし,速度より大きな牽引力を必要とする貨物用には動輪数を増やし大きなシリンダーをもった機関車とする。
ボイラーで発生したままの蒸気(飽和蒸気)を火室あるいは煙道などの高熱ガスで加熱してから蒸気シリンダーに送るものを過熱(蒸気)機関車,飽和蒸気をそのまま使用するものを飽和(蒸気)機関車といい,前者は高温蒸気が得られるので熱効率がよく経済的であることから蒸気機関車の主流となった。また一度使用した蒸気をさらに別のシリンダーに送って再利用するものを複式機関車と呼ぶ。複式機関車は蒸気の使用効率はよいが複雑な構造となるため,効率のよい過熱機関車の登場によりだんだんと消え去っていった。
機関車の各動輪は連結棒で互いに結ばれており,曲線通過のためある程度の融通性をもっているが,曲線通過をさらに容易にし,直線区間では蛇行動を制限するような先輪または先台車と呼ばれる,動輪より直径の小さい車輪を動輪の前に有するものが多い。また,線路や橋梁(きようりよう)の強度上各車輪上の重量が制限されているため,重量の大きい機関車では,動輪のほかに従輪あるいは従台車と呼ばれる小径の車輪を動輪の後ろに配する場合もある。機関車の車輪配置による分類,呼び方は国によって異なり,アメリカのように車輪配置に対しそれぞれ特殊な名称を付けたり,車輪の数に応じて6輪式とか8輪式と呼ぶ例や,イギリスのように先輪,従輪のないものは連結動輪の数に応じて4輪連結とか6輪連結と呼ぶなどさまざまである。アメリカのF.ホワイトが提唱した,先輪,動輪,従輪の順にそれぞれの車輪数で表す方式(ホワイト式)は,簡単で機関車の形態がよくわかることから各国で広く用いられている。日本の国鉄では,1906年の国有化後にそれまでまちまちであった呼び方を統一し,タンク機関車は4000代まで,テンダー機関車は5000代以上とし,連結動輪数により形式番号を表すようにした。さらに28年からは動軸が1軸(片側の動輪1個)のものをA,2軸をB,3軸をCなどのようにし,これに先軸,従軸の数を数字で前後の順に並べた。また個々の形式については,動軸数を表すアルファベットの次にタンク機関車は10~49,テンダー機関車は50~99の数字を並べ,さらに以下に製造順の車両番号を付した。なお,炭水車は燃料積載量(t)と水タンク容積(m3)で表し,自動給炭機付きのときはSを付した(表)。
大きな蒸気機関車としては,1919年アメリカのボールドウィン・ロコモーティブ社が製造したものと,41年アメリカン・ロコモーティブ社が製造したものが代表的なものである。前者は,軸配置1-D-D-D-1(動輪4個が1組のもの3組とその前後に先輪,従輪を配したもの)で,全長31.4m,総重量387t,シリンダー牽引力72.6t(日本のD51の約4倍)であった。後者はビッグボーイBig Boyの愛称をもち,軸配置2-D-D-2,全長25.9m,総重量508t,シリンダー牽引力61.5tであるが,動輪径が1727mmもあり最高時速は130kmも出せるので,機関車出力(牽引力×速度)では世界最強の蒸気機関車といえる。速度記録としては,1938年イギリスのマラードMallard号による時速202.8kmがあり,日本では,54年C62形式が時速129kmを記録している。
執筆者:福田 信毅
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実用的な蒸気機関車は,1825年スティーヴンソンによって初めて製作され,以来鉄道と蒸気機関車とは不可分の関係にあったが,今日ではすでに電気ないしディーゼル機関車によって代わられつつある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…原動機を搭載して自走できる鉄道車両で,自らは旅客や貨物は積まず,客車や貨車など自分では走行できない車両を連結してけん引するものをいう。搭載する原動機の種類によって電動機を用いる電気機関車,ディーゼルエンジンを用いるディーゼル機関車,蒸気機関を用いる蒸気機関車,ガスタービンを用いるガスタービン機関車などに分けられるが,これをさらに使用目的から本線用,支線用,こう配用,補機用,入換え用などに,またけん引する列車の種類によって旅客列車用,貨物列車用,客貨両用などに分類することもある。このほか特殊な原動機を用いる機関車としては,蓄電池で電動機を駆動する蓄電池機関車,圧縮空気で駆動される圧縮空気機関を利用した圧縮空気機関車などもあり,また駆動機構の特殊なものにはアプト式鉄道で用いられるアプト式機関車などがある。…
…当初は,機関車は危険視され,旅客列車は馬が引くことにされていた。しかしリバプール・マンチェスター鉄道では,開業にあたって蒸気機関車の採用を決定,29年数両の機関車による懸賞競走をリバプールの近くのレーンヒルで実施した。この競走でスティーブンソンのロケット号が優勝し,30年彼の機関車によってこの鉄道は開業した。…
※「蒸気機関車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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