日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワリ文化」の意味・わかりやすい解説
ワリ文化
わりぶんか
Huari (Wari)
6世紀の終わりごろから10世紀にかけてペルーに広まった文化。ペルー中部高地アヤクチョ地方のワリ遺跡が中心地と考えられている。理由は不明だが、6世紀終わりごろアヤクチョ地方に、ボリビアのティアワナコ文化の宗教表象が導入され、やがてワリは大きな人口の集中する都市となった。ティアワナコの「太陽の門」に描かれた石彫の「杖(つえ)を持つ神」と「走る人」のモチーフがワリの土器にも多彩色で表現され、やがてこのワリ様式の土器は南海岸のナスカ、北海岸のモチェの土器様式を消して、広まってゆく。ワリ様式の拡大とともに各地の地方文化の中心地が放棄された。カハマルカ文化のように連続がみられるものもあるが、その土器の文様にはやはり変化がある。ワリ様式の広がりは、単に土器様式の拡大だけではなく、各地に政治的・経済的変化をもたらした動きである。ワリ帝国という政治的・軍事的な大統合が生じたとする説もあるが、詳しいことはわかっていない。
[大貫良夫]