ボリビア(読み)ぼりびあ(英語表記)Plurinational State of Bolivia 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボリビア」の意味・わかりやすい解説

ボリビア
ぼりびあ
Plurinational State of Bolivia 英語
Estado Plurinacional de Bolivia スペイン語

南アメリカ中央部西寄りにある国。正称はボリビア多民族国Estado Plurinacional de Bolivia。2009年にそれまでのボリビア共和国から現国名に変更した。北東をブラジル、南をパラグアイアルゼンチン、西をペルーとチリに囲まれた内陸国である。面積109万8581平方キロメートル、人口962万7000(2006国連推計)、1005万9856(2012センサス)。人口密度は1平方キロメートル当り11人(2020)。憲法上の首都はスクレであるが、実際にはラ・パスがその機能を果たしている。国名は、独立運動の英雄シモン・ボリーバルの名にちなんだもので「ボリーバルの国」を意味する。

[山本正三]

自然・地誌

国土は東西二つのアンデス山脈とその間に広がるアルティプラノ高原を中心とした高地、アンデス山脈東側の斜面からなるモンタニヤ地方、および北部から東部、南東部にかけて広がる広大な平原であるオリエンテ地方に三分される。

 アンデス山脈はボリビアでもっとも幅を広げて、コルディエラ・オクシデンタル山脈とコルディエラ・オリエンタル山脈の東西二つの山脈に分かれ、両山脈の間には南北830キロメートル、東西140キロメートルのアルティプラノ高原が広がる。コルディエラ・オクシデンタル山脈はチリとの国境をなし、サハマ山(6542メートル)をはじめ6000メートル級の高峰が立ち並ぶ。コルディエラ・オリエンタル山脈にはアンコウマ山(6388メートル)、イーマニー山(6402メートル)などがある。アルティプラノ高原は標高3600~3800メートルの寒冷で風の強い荒涼とした地域で、雨期と乾期の区別があり、北部は適度の雨があるが、南部に行くにしたがって砂漠となる。ラ・パスやオルロをはじめ主要都市や鉱山の大部分がこの高原に集中する。これは、歴史的事情や鉱産資源の豊かなことに加え、チリやペルーの港に比較的近いことによる。ここはインカやそれ以前の文明の発祥地でもある。北端のティティカカ湖からポーポ湖にかけて大麦やジャガイモなどが栽培され、ヒツジやラマの放牧が行われている。ラ・パス南西方のコロコロは錫(すず)、銅、オルロは錫、銅、銀を産する。錫の大鉱山としては、世界最大のリャリャグア鉱山およびウアヌニ鉱山がある。しかし交通の不便さおよび希薄な空気のためボリビアでの錫の生産コストは高い。

 コルディエラ・オリエンタル山脈の東斜面を占めるモンタニヤ地方は深い峡谷と高山稜(さんりょう)が交錯した地域である。とくにベニ川、マモレ川、ピルコマヨ川などの森林に覆われた峡谷が入り込むユンガス地方は、ボリビアでも人口稠密(ちゅうみつ)な地方の一つで全人口の3分の1近くが居住し、耕地総面積の5分の2を占める。ここで生産されるコカ、サトウキビ、コーヒーなどの商品作物はアルティプラノ高原へ出荷される。コチャバンバ、スクレ、タリハは農産物の集散地である。ポトシでは錫、鉛、アンチモン、銅を産出する。モンタニヤは気候が温和な地域である。

 オリエンテ地方は、モンタニヤ地方を北から東にかけて半円形に取り囲んでいる地域で、面積が広大であるにもかかわらず人口は総人口の20%にも満たない。リャノともよばれ、標高1500メートル以下の亜熱帯および熱帯低地で、北部はアマゾン川流域の熱帯雨林に、南部はグラン・チャコのサバナに連なっている。中部は湿潤亜熱帯気候で、サンタ・クルスとその周辺地区が中心地域となっている。1954年にコチャバンバ―サンタ・クルス間の道路が完成してユンガス地方およびアルティプラノ高原と自動車交通で連結され開発が進められた。南部のグラン・チャコにはアンデス山脈東麓(とうろく)に沿った約240キロメートル幅の産油地帯がある。南東部のカミリが軽質原油のおもな産地で、パイプラインでスクレ、コチャバンバ、ラ・パスに送油している。重質原油はアルゼンチン国境に近いベルメホ川付近が主産地である。

 起伏に富んだ地形的特徴から多様な植物相がみられる。標高3000メートル以上の地域では樹木はほとんどなく、一部にイチュの生育がみられる程度である。コルディエラ・オリエンタル山脈の支脈レアル山脈の頂上はセハ・デ・ラ・モンタニヤとよばれる密な森林で覆われる。樹種はキナ、コカなどである。1200メートル以下の傾斜地や谷の底部では熱帯低地林が繁茂する。オリエンテ地方北部は深い密林で、パラゴムノキマホガニー、セイヨウヒノキ類が有用である。

 主要水系はアマゾン川、ラ・プラタ川、ティティカカ川の3水系に区分される。中部の高原地帯はティティカカ湖に注ぐ内陸水系で、湖から流出するデスアガデロ川はポーポ湖に注ぐ。内陸水系は蒸発や浸透によって水を失い、海への出口は存在しない。東部の低湿な平野には多くの湖や湿地帯がある。

[山本正三]

歴史

古く紀元前2000年ごろからアイマラ人の高地文明が栄えていたが、13世紀になって北方ペルーに興ったケチュア人のインカ帝国の一領土に編入された。1535年スペインの植民地となりポトシなど多数の鉱山都市が栄えたが、18世紀に入り衰微した。

 1825年、隣国のペルーとともに、スクレの率いるボリーバル軍によって解放され、国名を解放者の名にちなんでボリビア共和国と名づけた。しかし、その後半世紀以上、内乱、革命、独裁、隣国との紛争に悩まされた。1879~1883年、いわゆる太平洋戦争がボリビアの硝石をめぐる利害対立によってチリとの間に引き起こされたが、ボリビアは敗れて太平洋に面したアントファガスタ州を失い、海港をもたない内陸国となり、同国の発展を遅らせる元となった。1900年には天然ゴム開発が絡んで北部のアクレ地方が分離を宣言、1903年には東部の広大な地域がブラジルに割譲された。

 第一次世界大戦後の政情は不安定でクーデターが相次ぎ、世界恐慌とパラグアイとのチャコ戦争(1932~1935)で国力を消耗した。ボリビアはチャコ戦争の敗戦によりチャコ地方の大部分をパラグアイに割譲し国土の約60%を失った。このチャコ戦争がきっかけになって民族主義的な青年将校グループが台頭し、外国と関係の深い大鉱山主や外国の石油会社の利益を抑えることを主張した。1952年に民族革命運動(MNR)が政権を獲得するに及んでその主張が急速に実現された。MNR政権は、1964年軍部クーデターによって倒されるまでの12年間、経済、社会問題の根本的な改革と取り組み、アメリカ資本と少数の富裕層に支配されたボリビア社会の改良を推し進めた。しかし1961年憲法を改正して大統領の連続再選を可能にすると野党や国民の反対運動が起こり、1964年軍部がクーデターを起こしてMNR政権は打倒された。

 以後軍部が政治に介入し、政情はきわめて不安定で、独立以来200回以上のクーデター、190回以上の政権交替を繰り返している。陸軍は1960年ごろからアメリカの軍事援助を受けその力は民兵組織をしのぐに至った。1969年9月、左翼ゲリラ台頭の兆しをみたオバンドAlfredo Ovando Candía(1918―1982)将軍はクーデターを起こし政権を握った。さらに1970年10月の軍部左派クーデターに続き、1971年8月にはバンセルHugo Banzer Suárez(1926―2002)大佐を首班とする軍部右派勢力がクーデターで実権を掌握、7年間にわたって反共・親米主義を標榜(ひょうぼう)する軍事政権を維持した。その後経済危機が深刻化して、1982年10月軍部は政権を放棄し、18年ぶりに民政に復帰したが、政情不安が続いた。ブラジル、アルゼンチン、アンデス諸国との関係を重視しており、チリとは「海への出口」の回復を主張して対立している。1993年にはサンチェスGonzalo Sanchez de Lozada(1930― )政権が成立し、1995年にはゼネストが行われたこともあったが、政局はかなり落ち着き、同時に経済も安定成長し始めた。1997年バンセルが大統領になったが病気のため2001年に辞任し、副大統領キロガJorge Quiroga Ramírez(1960― )が残りの任期を勤めた。2002年大統領選挙ではサンチェスが二度目の当選を果たしたが国内に豊富に埋蔵している天然ガスの輸出政策をめぐり、先住民を中心とする貧困層が国内での優先利用を求め、暴動に発展、2003年10月辞任に追い込まれ、副大統領メサCarlos Mesa Gisbert(1953― )が大統領に昇格した。メサは天然ガス輸出政策に国民投票を実施、輸出で得た利益を教育や雇用対策に充当する方針を掲げ、国民の支持も高かったが、諸政策をめぐり富裕層と貧困層の根深い対立の板ばさみにあっていた。2005年5月の天然ガス資源の国有化や先住民の権利拡大を求めるデモ活動の混乱より6月に辞職、法律学者のロドリゲスがEduardo Rodríguez Veltzé(1956― )が暫定大統領に就任した。2005年12月の大統領選挙ではモラレスJuan Evo Morales Ayma(1959― )が当選し、2006年1月、大統領に就任した。

[山本正三]

政治

1967年に改正された憲法によれば政体は大統領制共和体制で、大統領、副大統領、上院議員(27人)、下院議員(130人)が5年任期で選出されることになっている。大統領の連続再選は禁止されている。地方行政単位は九つの州Departamentoに分けられている。政情の激しい移り変わりに呼応して政党も乱立状態で、中道右派の民族革命運動(MNR)、右派の国民統一戦線(UN)、中道左派の社会主義運動(MAS)などがある。外交は、1978年に太平洋岸の出口確保をめぐってチリと国交を断絶、1982年のフォークランド紛争ではアルゼンチンを支持した。1983年にキューバと国交を回復、当時のソ連と技術協力を結び、1985年には中国と国交を樹立したが、軍部を中心に共産圏との関係拡大に対する反対も根強い。選抜徴兵制をとり、常備軍は陸軍の3万5000、ほかに小規模の空軍(6500)、河川湖沼警備の海軍(4800)がある。

[山本正三]

経済・産業

1人当りの国民総所得(GNI)は990ドル(2000)と低い。国内総生産(GDP)への寄与率と労働人口の吸収率の点では農業、輸出産業としては鉱業がもっとも重要である。農業には労働人口の半分以上が従事し、もっとも主要な産業であるが生産性は低い。主要農作物はサトウキビ、ジャガイモ、トウモロコシ、小麦、米などである。農地改革により1955年から1969年までに760万ヘクタールの土地が分配されたが、農業生産性は低く、農産物価格引上げ、融資、技術援助、道路建設などを通じて生産を刺激することが農業政策の中心である。可耕地は国土の3%にすぎず、農場数の6%が全農地面積の92%も占めている。米と砂糖は自給の域に達しているが、食糧輸入に輸入総額の40%を費やさねばならない。

 鉱業は労働人口において約3%しか占めないが、輸出収益の約44%にも達する。年産1万6000トン(1994)の錫(すず)が中心で国営公社によって生産されているが、良質鉱の枯渇によって停滞傾向を示している。そのほか亜鉛、鉛、銀、アンチモンなどを産する。最近ではサンタ・クルス南方の油田の開発が進み、石油と天然ガスは輸出総額の20~25%を占めて錫に次ぐようになった。伝統的な錫依存の経済は転換されつつあり、政府は石油、鉱工業、農業などの部門に資本を投下し輸出産業の多角化を目ざしている。石油公社は新油田を開発するとともに各地に精油所を建設し、石油化学、鉄鋼などの産業の確立を急いでいる。天然ガスはパイプラインでブラジルに供給している。

 おもな輸入相手国はアメリカ、ブラジル、アルゼンチンで、輸入品は工業化のための資本財や原料および食糧である。鉱産物を中心とする輸出相手国はコロンビア、イギリス、アメリカが上位を占める。1970年代前半には比較的高い経済成長率を保ち、南部の石油、天然ガス資源の開発が急速に進められて明るい見通しをもっていた経済は、1970年代後半以後は混迷状態へと逆転した。1993年のサンチェス政権では農地改革、国営企業の民営化、石油探査など積極的な政策を実施し、経済は成長の傾向を強めた。

[山本正三]

社会・文化

住民は純粋のインディオが55%を占め、インディオとスペイン系白人との混血メスティソは32%、スペイン系白人は13%でインディオ的色彩が濃厚である。インディオ全人口の約55%がモンタニヤに住むケチュア人、約40%が高原地帯に住むアイマラ人、そして残りの少数はオリエンテに散在するさまざまな民族である。インディオは鉱山労務者として働くかたわら自給的農牧業を営む。メスティソは鉱山関係、白人は都市で商業に携わる者が多い。かつてインカ帝国の一部を形成したボリビアには、その支配者ケチュア人と被支配者アイマラ人が今日でもそれぞれの伝統的生活様式を続けており、ケチュア語とアイマラ語がスペイン語とともに公用語となっている。

 宗教は国教であるカトリックが圧倒的で、国の保護を受け、国民の精神生活や教育に大きな勢力を振るっている。離婚がきわめて容易なのはほかの南アメリカ諸国と異なる点である。義務教育は6~13歳である。1952年の革命以後教育の普及に努めているが著しい進展はみられない。全般的にインディオ的要素が強く、女性の服装、織物、陶芸などの民芸品、民族音楽、舞踊にそれがうかがえる。

[山本正三]

日本との関係

日本との外交関係は1914年(大正3)に始まるが、公使館がラ・パスに設置されたのは平和条約調印後の1955年(昭和30)であった。在留邦人は2612人(2000)である。移住者、日系人は1万4000人と推定されている。邦人移住地はサンタ・クルス州に集中し、米作を中心とした農業に従事している。綿花栽培のほか肉牛などの家畜の飼育もみられる。経済協力では、1975~1999年度までに日本からボリビア道路網拡張計画などに対し、有償資金協力1057億9300万円、無償供与611億6100万円を受けている。

[山本正三]

『W・モンテネグロ著、町田業太訳『ボリビア』(1977・芸林書房)』『中屋健弌他編『ラテン・アメリカ事典』(1984・ラテン・アメリカ協会)』『国本伊代著『ラテンアメリカ――悠久の大地・情熱の人々』(1995・総合法令出版)』『田辺裕監修『世界の地理5――南アメリカ』(1997・朝倉書店)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボリビア」の意味・わかりやすい解説

ボリビア
Bolivia

正式名称 ボリビア多民族国 Estado Plurinacional de Bolivia。
面積 109万8581km2
人口 1184万2000(2021推計)。
首都 ラパス

南アメリカ中部にある国。憲法上はスクレが首都と定められているが,行政府と立法府がラパスにあるため,実質的にはラパスが首都として機能。19世紀末ペルーと争って太平洋岸の領土を失った結果,海岸線をもたない内陸国となり,北から東へかけてはブラジル,南東はパラグアイ,南はアルゼンチン,西はチリとペルーに囲まれる。地形は南西のアンデス山脈と北東の低地に大別される。このうちアンデス山脈は同山脈が最も幅広くなる部分にあたり,山間には広大なアルティプラノ高原が広がる。ここに人口が集中,ラパスをはじめとする主要都市が立地し,ボリビアの中心部をなしている。国土の 5分の3を占める低地は熱帯雨林あるいは草原に覆われ,湖沼や湿地帯が多く,大部分が人口希薄な未開発地域である。チチカカ湖ポーポ湖の内陸水系に属する高原地帯とラプラタ川水系に入る南東部以外は,全域がアマゾン川支流マデイラ川の流域である。気候は標高によって大きく異なり,低地北部は高温多雨の熱帯雨林気候,低地南部およびアンデス北東斜面は亜熱帯気候であるが,高原は年中冷涼ないし寒冷で,高原の東をかぎるレアル山脈には万年雪をいただく高峰が連なる。スペイン征服前にインカ帝国の一部をなしていた地域で,住民にもケチュア族アイマラ族を中心とした先住民のラテンアメリカインディアン(インディオ)が多く,総人口の約半分を占める。そのほか,メスティーソと呼ばれるインディオと白人の混血が約 30%,白人が約 15%。公用語はスペイン語のほかインディオ語系のアイマラ語,ケチュア語など 36の先住民言語が指定されている。信教の自由は保障されているが,国民の圧倒的多数がキリスト教のカトリックである。天然ガスとスズをはじめとする鉱物資源に恵まれ,天然ガスは最大の輸出品。ほかにタングステン,アンチモン,鉛,亜鉛,銅,銀,金,ビスマス,石油などを産する。農業は就業人口の約 4割を擁し,高原では穀物やジャガイモなどを栽培する古くからの自給農業が中心で,生産性の高い低地ではサトウキビ,コーヒー,綿花,カカオなどの換金作物の栽培が盛ん。一方,依然としてコカ生産国でもある(→コカノキ)。牧畜も重要で,ヒツジ,ウシ,ヤギなどのほか,ラマ,アルパカなどが飼育される。工業は石油精製,鉱石精錬などのほか,食品,飲料,たばこ,繊維などの製造が中心。インカ遺跡などを中心とした観光も重要。たび重なる政変と政情不安のため外国からの投資が減少し累積債務を抱え,1980年代中頃にはインフレ率が 1万4000%にも達したが,国営企業の民営化など緊縮財政によって 1990年代初めに沈静化した。周辺各国との協定のもと,ラパスとサンタクルスを起点として太平洋,大西洋の港に通じる鉄道と,アンデス山中を縦貫するパンアメリカン・ハイウェーが主要交通路である。(→ボリビア史

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