日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワルドー派」の意味・わかりやすい解説
ワルドー派
わるどーは
Waldenses (Waldencians)
12世紀のフランスにつくられた俗人の贖罪(しょくざい)・清貧の説教団。南フランスのリヨンの商人ワルドーPeter Waldo(英語)Petrus Waldus(ラテン語)(1140ころ―1217)が、1173年ころ路上でアレクシウス伝説詩の歌を聞いて回心し、自分の財産と家族を捨てて巡歴説教を始め、集まった多くの信者をもって75年ころこの教団をつくった。79年の第三ラテラン公会議の際、教皇アレクサンデル3世は彼の意図をたたえ、司祭の許可を条件に説教活動を認めた。80年彼がリヨン大司教の前で行った信仰告白(1946年マドリードで発見)はどの点でも正統なものであったが、84年のルキウス3世の異端禁圧令では「リヨンの貧者」という名で異端と断罪された。リヨン大司教の辱めを受け、急速に異端者ローザンヌのアンリの教義を受け入れたためという。当時の教会が彼らを非難した点は、使徒をまねた服装、宣誓拒否、動物殺傷忌避、サクラメント執行などであった。13世紀にはイタリア、オーストリア、ボヘミア、ポーランド、ハンガリー、北ドイツにも進出したが、たび重なる弾圧で衰微した。宗教改革以後はプロテスタントと自称し、現在も約2万の信者がイタリアのピエモンテ地方に独自の教会を組織して活動を続けている。
[今野國雄]