ヲシャマンベ盛岡藩陣屋跡(読み)をしやまんべもりおかはんじんやあと

日本歴史地名大系 の解説

ヲシャマンベ盛岡藩陣屋跡
をしやまんべもりおかはんじんやあと

[現在地名]山越郡長万部町字長万部

飯生いなり神社に近い丘陵にある盛岡藩(南部藩)陣屋(分屯所)跡。安政二年(一八五五)幕府は蝦夷地を再び直轄地とし、松前藩と東北四藩に警備を命じた。盛岡藩は箱館表を主とし、さらに東蝦夷地ホロベツ(現登別市)までの海岸一帯を持場として警備することになった(書付并伺書類・南部陣屋考)。同年藩士二名を派遣して持場を詳細に検分させた報告書に「ヲシヤマンペは北の方シツカリ越の険阻不拘南はヤムクシナイ迄十里余の平野砂浜を見渡し(中略)ヱトモ出張陣屋之勤番人数二百人位も差置、其内ヲシヤマンペえ二十人配当仕、シツカリの山道よりユウラツプ迄見込」(南部陣屋考)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む