アテネ公国(読み)アテネこうこく

改訂新版 世界大百科事典 「アテネ公国」の意味・わかりやすい解説

アテネ公国 (アテネこうこく)

第4回十字軍に参加したブルゴーニュの封建貴族オトンOthon de la Rocheがアテネ,テーベを中心に建てた国家。1205-1456年。国制上,アカイア大公国同様フランス封建制を再現したが,より中央集権的であった。オトン(在位1205-25),ギュイ1世(在位1225-63)につづき,ジャン1世(在位1263-80),ギヨーム1世(在位1280-87),ギュイ2世(在位1287-1308)のもとで,国威は発揚し,平和裏に騎士文化が栄えた。ゴーティエ・ド・ブリエンヌ(在位1309-11)は,自らが招いたカタルニャ人傭兵隊と争ってボエオティアのコパイス湖畔で殺され,以後シチリアのアラゴン朝の宗主権のもと,カタルニャ人支配が取って代わった(1311-88)。それを倒したのが,ニッコロ(1310-65)以来ギリシアナポリアンジュー朝に仕えたフィレンツェの銀行家アッチャイウォーリ家であり,ニッコロの後継者ラニエリ1世は,1388年カタルニャ人のたてこもるアクロポリスをおとした。彼およびアントニオ1世(在位1403-35)のもとで,アテネにルネサンスのフィレンツェが再現した。しかし1456年オスマン・トルコによって征服された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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