日本大百科全書(ニッポニカ) 「アクロポリス」の意味・わかりやすい解説
アクロポリス
あくろぽりす
akropolis ギリシア語
古代ギリシアのポリス(都市国家)において、アゴラとともに中心市の主要部を構成した小高い丘。市街を見下ろす要害の地が選ばれ、ポリスの守護神をはじめとする神々の神殿が建てられていた。アクロポリスは緊急の際の避難所や要塞(ようさい)としての役割も有しており、またその神殿の内部はポリスの国庫として利用された。アテネのアクロポリス、コリントのアクロコリント、テーベのカドメイアなどが有名である。なお、アテネのアクロポリスは1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[前沢伸行]
アテネのアクロポリス
古代ギリシアを代表するアテネのアクロポリスは、東西約300メートル、南北約150メートルの細長い丘である。すでにミケーネ時代(紀元前13世紀)には巨石を積み重ねた城壁が周囲に構築され、王宮が建造されていた。アクロポリスとして大規模な神殿建設が開始されたのは、紀元前6世紀後半の僭主(せんしゅ)ペイシストラトスの時代以後のことである。しかし、建設中のものも含めて、これらの神殿は前480年にアッティカに侵入したペルシア軍によって徹底的に破壊された。前450年代には、ペルシア戦争の勝利を記念して、フェイディアスの手になる女神アテナの巨大な青銅製の像が制作、設置された。この後ペリクレスの政策に基づいて、デロス同盟の貢租を流用した神殿の本格的な再建が開始される。ペロポネソス戦争中も建設は続けられ、前5世紀後半から前4世紀初頭にかけてパルテノン、プロピライア(前門)、エレクテイオン、アテナ・ニケ神殿などが完成した。これ以後の建築活動はわずかである。アクロポリスの周辺地域では、南麓(なんろく)のディオニソス劇場(前500年ごろ。前320年代に改築)、ペリクレス音楽堂(前443年ごろ)、ヘロデス・アッティクス音楽堂(後160年ごろ)などが名高い。
ローマの支配下では、帝政後期のキリスト教国教化とともに後6世紀以降、アクロポリスの神殿はキリスト教会として用いられた。
[前沢伸行]