改訂新版 世界大百科事典 「アカイア大公国」の意味・わかりやすい解説
アカイア大公国 (アカイアたいこうこく)
Achaia
第4回十字軍に参加したシャンパーニュの2人の封建貴族,ギヨーム・ド・シャンプリットとジョフロア・ド・ビラルドゥアンが,当時モレアと呼ばれたペロポネソスのギリシア在地豪族を征服して建てた国家(1205-1430)。国制上《ローマニア法典Assises de Romanie》を基礎とし,フランス封建制を典型的に再現した。首都はアンドラビダ。ギヨーム1世(在位1205-09),ジョフロア1世(在位1209-29),ジョフロア2世(在位1229-46)の領土拡大戦争をギヨーム2世(在位1246-78)はモネムバシア占領(1248)で完成するが,ビザンティン皇帝ミハエル8世パライオロゴスにペラゴニアの戦で敗れて捕虜となり(1259),同市のほか,ミストラ,マイナ,イエラキオン移譲と引換えで身柄を釈放された(1261)のち,失地回復のためシチリアのシャルル・ダンジューの封建家臣となった。以後大公国はアンジュー朝の封建領土化した。同朝支配末期の混乱を経て,1430年アカイアはベネチア領メトーニ,コローニを除き,ミストラにデスポテース(君主)として君臨するビザンティン皇帝の兄弟によって,最終的にビザンティン帝国に再統一され,60年オスマン帝国が同地を征服した。
執筆者:渡辺 金一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報