出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…現在の考古学の知見では,続縄文文化(紀元前後‐7,8世紀)まではさかのぼることが可能で,次の擦文文化(8,9‐13世紀)は後代のいわゆるアイヌ文化の先行形態と解されている。もっとも,今のところ擦文文化にはアイヌ文化に特有な熊送り儀礼(イオマンテ(熊祭,熊送り))の痕跡がみられないことから,擦文文化からアイヌ文化への移行過程については,今後解明すべき問題が多く残されている。擦文文化期には樺太および北海道のオホーツク海沿岸部から千島列島にかけた地域に,大陸の靺鞨(まつかつ)・女真文化と深いかかわりを持ち,熊送り儀礼がみられるオホーツク文化が存在した。…
…熊祭の汎北半球的分布(ツンドラ帯は除く)についてはアメリカの人類学者ハロウェルAlfred I.Hallowellの博士論文(1926)でつとに明らかにされており,各地の事例の間に驚くべき類似性のあることが注目された。日本ではアイヌの熊祭〈イオマンテ(イヨマンテとも呼ぶ)〉が有名である。これは熊狩りで生け捕られた子熊を一定期間飼育したのち,おおぜいの親族知己を招いて神の国へ〈それを送る(アイヌ語でイ・オマンテ)〉祭礼である。…
…狩猟者がしとめた野獣の解体に際して示す儀礼的慎重さはここに由来するのであり,全骨格を元どおりに正しく組み立てて葬ったり,木に懸けたり,とくに頭骨を保存したり高く掲げたり,また一般には獲物の一部を特別に処置する,いわゆる〈もの送り〉の儀礼は,きわめて普遍的な狩猟儀礼である。アイヌは熊,シャチ,フクロウ,キツネなどの動物を〈送る〉儀礼を〈イオマンテ〉と称するが,とりわけ北方ユーラシアと北米大陸北部に広く分布する〈熊祭〉は,〈もの送り〉の代表例である。そこでは宥和,哀願,威嚇,欺瞞などを意図する〈主〉との対話(祈禱など),〈主〉に対する贈与(供物や犠牲),性生活や女の排除(禁忌),特殊な狩り言葉の使用といった儀礼行為,すなわち狩猟儀礼が集約的に表現されている。…
※「イオマンテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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