日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊送り」の意味・わかりやすい解説
熊送り
くまおくり
熊を獣のなかで特別な存在とみなし、これを殺害するときに執行される儀礼の総称。この儀礼は、北方ユーラシア大陸を中心に、北アメリカ、ベトナム山地、バスク地方など、熊の生息する地域のほとんどの民族にみられ、俗に熊祭といわれることもあり、アイヌではイオマンテという。つまり、熊のすむ地帯では、他の獣を超えた力をもっていることから、熊は獣の王、野獣世界の支配者とみなされる。また、人間が森の中で遭遇するもっとも危険な存在であることなどから、森の主にも位置づけられる。この森と人間の村とが一つの宇宙を形成しており、儀礼の対象となる熊は、森の野獣世界から人間社会を訪問し、そこで手厚い歓待を受け、丁重な儀礼をもって殺害される。これによって初めて毛皮や肉などの仮装を脱ぐことができ、そして神のいる森へふたたび帰るために不可欠な霊的存在になることができるとされる。
熊と人間の同一視は普遍的にみられるもので、狩りをする男たちに対応して、熊は雌(つまり女)としてみなされる例も顕著である。あるいは、熊が雄(男)で、これに出会った女たちは、腰をまくって尻(しり)を出して呪術(じゅじゅつ)的行為をすることもこともアイヌ民族には存在していた。熊と人間は、男女の関係ばかりでなく、社会の集団組織にも反映されることがしばしばである。ニブヒ(ギリヤーク)民族では、儀礼の際に妻方の氏族の者をもっともだいじな客として招く。これは、人間社会と獣社会、また狩人(男)とその対象(女)といった対応関係の反映からくるものである。
熊送り儀礼は二つの形式に大きく分けられる。第一は山熊送りであり、森での猟による殺害である。この場合、殺害現場もしくは居住地において儀礼が行われる。第二の形式は飼い熊送りで、春先に生まれたばかりの子熊を捕獲し、これを一定期間檻(おり)の中で飼育したのち殺害するものである。よく知られるアイヌの事例はこの形式のもので、アイヌと隣接する樺太(からふと)(サハリン)およびアムール川下流域にしかみられないものである。つまりウイルタ、ニブヒ、オロチ、ウリチ、ナーナイなどの民族である。この飼い熊送りの成立は、アムール川およびウスリー川流域さらに中国東北部の、ブタ飼育を伴う雑穀栽培地帯であると考えられる。また、本格的なモンゴル牧畜文化からの影響も無視できない。なぜならば、儀礼の際に熊の頭と背を削掛(けずりかけ)で飾ることと、熊の背当てが鞍(くら)などの馬具に類似することから推察されるのである。
熊送りの習俗は、後期旧石器時代にその萌芽(ほうが)がみられ、土製の熊頭部に突き刺し孔(あな)のある遺物や、洞穴壁画に描かれた熊によって知ることができる。アイヌの熊送り儀礼成立の時期は、10世紀前後に北海道に押し寄せたオホーツク文化の影響を受けて13~14世紀ごろに成立した。
[大塚和義]