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カラ・ムスタファ・パシャ カラ・ムスタファ・パシャKara Mustafa Paşa, Merzifonlu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カラ・ムスタファ・パシャ
Kara Mustafa Paşa, Merzifonlu

[生]1634. メルズィフォン
[没]1683.12.25. ベオグラード
オスマン帝国の大宰相 (在任 1676~83) 。キョプリュリュ・メフメット・パシャの女婿。知事,海軍大臣を経て,34歳で大宰相。オーストリアとの戦争を宣言して,ウィーンを包囲攻撃 (83.7.17.~9.12.) したが敗れ (→ウィーン包囲 ) ,失政を問われて処刑された。

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367日誕生日大事典の解説

カラ・ムスタファ・パシャ

生年月日:1634年7月27日
オスマン・トルコの政治家
1683年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内のカラ・ムスタファ・パシャの言及

【キョプリュリュ家】より

…初代メフメト・パシャは,おそらくはデウシルメにより宮廷に入り,地方の諸職を歴任した後,帝国の体制全体が動揺し,ベネチアがダーダネルス海峡を封鎖する危機に際し,異例の抜擢により1656年に大宰相となり,粛清・改革を断行し,後を継いだ実子のファーズル・アフメト・パシャ(1635‐71)とともに帝国の勢力挽回に貢献した。同家からはその後も,メフメト・パシャの子ファーズル・ムスタファ・パシャ(1637‐91),孫のヌーマン・パシャ(1670?‐1719),またメフメト・パシャの女婿で第2次ウィーン包囲の指揮者であったカラ・ムスタファ・パシャKara Mustafa Paşa(1634‐83)らの大宰相を輩出し,世襲的門閥の少ない完成期以後のオスマン朝における例外的な有力家系となった。【鈴木 董】。…

※「カラ・ムスタファ・パシャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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