トルコ
Turkey
正式名称 トルコ共和国 Türkiye Cumhuriyeti。
面積 78万5347km2。
人口 7624万8000(2013推計)。
首都 アンカラ。
アジア大陸西端のアナトリア(小アジア半島)とヨーロッパ大陸南東部の東トラキア(→トラキア)からなる共和国。北部の黒海地方,西部のエーゲ海地方,南西部の地中海沿岸地方,中央部のアナトリア高原地方(中央高原),東部のアルメニア高原地方に大別され,国土の大半は山地と高原である。東部は高い山岳地帯であり,北東部から南西にアンティトロス山脈が走り,中央高原の南を西に走るトロス山脈に続く。小アジア半島の北側は黒海沿岸をポンティク山脈が東西に走り,西ポンティク山脈に続いて中央高原の北を縁どっている。山岳の最高点はアララト山(5165m)で,2000~3000m級の山も多い。古生代の岩石層からなる山岳はトラキアのイストランジア山脈に続き,ダーダネルス海峡やボスポラス海峡は,この山岳中の谷が沈水したものである。東部山岳地帯よりチグリス川,ユーフラテス川が源を発し,それぞれイラク,シリア国境を越えて南流し,トロス山脈に源をもつジェイハン川が南西流し,中央高原からクズル川,サカルヤ川が北流して黒海に注ぐ。高原地帯は大陸性気候,地中海側は温帯冬雨気候(地中海式気候)であるが,一般に夏は特に乾燥が激しい。唯一の例外は黒海沿岸地方で,ポンティク山脈の影響で夏冬とも降雨があり,植生が豊かである。年降水量は内陸部で 300~400mm。
東西交通のかなめで,古代からいくつかの支配の変遷があり,13世紀からはオスマン帝国領であったが,1923年10月29日,ケマル・アタチュルクによって共和国が宣言された。公用語はトルコ語で,人口の約 65%がトルコ人。ほかにクルド人,クリミア・タタール人,アラブ人などの少数民族がいる。住民の 97%がイスラム教徒(→イスラム教)であるが,世俗主義を国是とする。労働人口の約 21%が農業,18%が流通・観光業,16%が製造業,15%がサービス業に従事する。国土の約 3分の2が農地で,うち約 3分の1が放牧地である。コムギ,オオムギ,トウモロコシなどの穀物と,サトウダイコン,トマト,ジャガイモ,ブドウなどを産し,ヒツジ,ウシ,ヤギなどの牧畜を行なう。また鉱物資源としては,マグネサイト,石炭,クロム,大理石,銀などがある。工業は繊維工業の比重が大きく,食品,金属,輸送機器などがこれに続く。首都以外の主要都市はイスタンブール,イズミル,ブルサ,アダナ,ガジーアンテップなど。北大西洋条約機構 NATO加盟国。(→トルコ史)
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
トルコ
人口約7400万人。首都はアンカラ(477万人)。イスタンブール(1326万人)が最大都市で文化・経済の中心。国民の99%がイスラム教徒だが、憲法で政教分離を掲げる。国内総生産(GDP)はこの10年で3倍になり、約7773億ドル(11年)、1人当たりのGDPは1万444ドル(同)。2023年に「トルコ共和国」建国100周年を迎える。
出典 朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について 情報
トルコ
◎正式名称−トルコ共和国Republic of Turkey。◎面積−78万3562km2。◎人口−7563万人(2012)。◎首都−アンカラAnkara(442万人,2012)。◎住民−トルコ人90%,ほかにクルド人100万人,アルメニア人など。◎宗教−イスラム(主としてスンナ派)99%。◎言語−トルコ語(公用語)が大部分,ほかにクルド語,アラビア語。◎通貨−トルコ・リラTurkish Lira。◎元首−大統領,エルドアンRecep Tayyip Erdogan(2014年8月就任,任期5年)。◎首相−ダーブトオールAhmet Davutoglu(2014年8月就任)。◎憲法−1982年11月発効。◎国会−一院制(定員550,任期4年)(2011)。◎GDP−7942億ドル(2008)。◎1人当りGNP−9333ドル(2007)。◎農林・漁業就業者比率−44.1%(2003)。◎平均寿命−男71.8歳,女78.7歳(2013)。◎乳児死亡率−12‰(2010)。◎識字率−90.8%(2009)。 * *アジア西端の小アジアとバルカン半島南東部のトラキア半島からなる共和国。国土の大半を占める小アジアはアナトリアとも呼ばれ,北にポントス山脈,南にトロス山脈が東西に走り,内陸は高原状台地で,東端にアララト山(5123m)がある。地中海,黒海に面し,海岸部は地中海式気候,内陸は大陸性半乾燥気候。主産業は農業で,就業人口の約40%が農業に従事する。穀物,タバコ,綿花,果実,テンサイが主要農作物で,アナトリア高原では羊,ヤギ,牛の飼育が盛ん。鉱産資源も石炭,石油,鉄,クロム,銅と豊富であるが開発途上にある。工業には鉄鋼,繊維,セメント,砂糖等がある。〔歴史〕 古代からヒッタイト,ギリシア,ローマなど支配者の変遷があったが,11世紀にセルジューク朝,14世紀からはオスマン帝国と,トルコ王朝の支配が確立した。ケマル・アタチュルクのもとにオスマン朝を倒し,1923年トルコ共和国を宣言した(トルコ革命)。国民の大部分はイスラム教徒であるが,革命のなかで打ち出された政教分離・世俗化政策の下,近代化がはかられた。第2次大戦後,政情は,政界,宗教界,軍部の排他性,小党分立等により安定せず,1980年には,キプロス出兵による出費のための経済的困難から軍事クーデタが起きた。1982年新憲法が制定され,1983年民政に移管した。1995年の総選挙でイスラム主義政党の福祉党(繁栄党)が第1党に躍進し,1996年から約1年間,同党党首のエルバカンが首相をつとめた。1952年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟し,徴兵制をとっている。今日,EU(ヨーロッパ連合)加盟をめざすトルコにとって,積年のクルド(イラン,イラクにもまたがる少数民族)抑圧政策のあり方やキプロス承認,20世紀初頭のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺公認などが問われている。〔エルドアン政権〕 2002年11月総選挙でイスラム系の公正発展党(AKP)が第1党となり,2003年3月同党党首エルドアンが首相に指名された。エルドアン首相はEU加盟を最優先課題として掲げ,2005年秋からEUとの間でトルコの加盟交渉が開始。2007年5月任期満了に伴う大統領選で,親イスラム派のギュルが当選したが,トルコ憲法裁判所は同選挙を無効と判断,国民の直接投票による大統領選実施などの憲法修正案が国民投票で承認された。ギュルは3回目の投票で過半数を得て,同年8月に大統領に就任した。エルドアン,ギュルの属する公正発展党がイスラム復興を掲げる宗教的保守勢力を代表する政党であると見られていることから,世俗的イスラムの多い国民世論の反発を受けたことが混乱の原因とされる。しかしエルドアン政権は,EU加盟に向けて積極的な国内改革と安定的な経済政策を実行,2011年の総選挙でも勝利し3期目に入り,より民主的な新憲法の制定をめざしている。内政の最大の課題クルド問題では,クルド労働党を中心に武装テロ活動が続いており,エルドアン政権はテロへの対決姿勢を維持しつつ〈平和プロセス〉としてクルド系住民の権利拡大に努めるなど硬軟両面の対応をとっている。2013年1月から,クルドの権利を主張してテロ活動を行ってきたクルド労働者党(PKK)指導者で現在刑務所に収容されるオジャランとトルコ政府との間でPKK問題解決に向けた対話が開始され,現在国内和平プロセスが推進されている。また2011年10月以降,1982年に軍政下で制定された現行憲法に代わる民主的新憲法制定プロセスが進行中である。2013年12月現在,草案全177条項中60か条について,起草作業を進める憲法調整委員会において各党が合意したと報じられた。しかし,草案中クルド問題の解決にも関連する〈国民の定義〉,〈母語による教育〉,〈地方自治制度〉等について各党の対立が解消せず,2013年11月憲法調整委員会は解散しており,今後のプロセスは不透明となっている。2013年5月イスタンブールの中心部にあるゲジ公園の再開発計画撤回運動に端を発した抗議活動が各地に拡大した。大規模抗議活動の背景には,政権内部の大規模贈収賄事件やメディアや世論の規制を強めるエルドアン政権のイスラム復興姿勢に対するリベラル派市民の反対がある。しかし2014年3月の地方選ではAKPが得票率約45.5%で勝利。2014年8月に初の国民直接投票による大統領選挙が行われ,エルドアン首相が得票率51.8%で勝利,大統領に就任。これを受けて,ダーヴトオール内閣が成立。また,2015年6月には総選挙が予定されている。国際NGO・国境なき記者団による報道の自由度ランキングで,トルコは179ヵ国中154位で,リベラル派の政権への批判は根強く,内政は安定しているとはいえない。 2014年9月以降,PKKと関わりの深いクルド民主統一党(PYD)とISの間でトルコ国境に近いシリアのコバニをめぐりコバニ包囲戦が闘われた。エルドアン大統領は〈PKKもIS同様のテロ組織〉と言い放ち,PYDへの支援を拒否したため,トルコ政府と和解交渉を行っていたオジャランは〈コバニ陥落はトルコ政府との交渉打ち切りを意味する〉と警告,トルコ南東部では政府治安部隊とクルド人部隊が衝突,50人以上が死亡した。最終的にエルドアンはイラクのクルディスタン地域からクルド人民兵組織ペシュメルガがトルコを経由してコバニに援軍に行くことを認め,2015年1月,PYDはISを撃退し勝利した。
→関連項目アルタイ語系諸族|ネムルット・ダー
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
トルコ【Türk】
元来は,中央アジアから西アジア,バルカンに広がるチュルク諸語を用いる民族(トルコ族Türk)の総称であったが,現在は,第1次大戦後にアナトリアを中心に建国されたトルコ共和国Türkiyeを指して用いられることが多い。〈丁零〉以来の民族としての歴史については,〈トルコ族〉の項目で,現在の国家については〈トルコ共和国〉の項目で詳述する。また,その文化については,上記2項目のほか〈トルコ音楽〉〈トルコ文学〉などの項目を参照されたい。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典内のトルコの言及
【トルコ族】より
…チュルク諸語のいずれかを使用する民族を指す呼称で,現在,東方のヤクート族から西方のトルコ,ガガウズ,カライムの諸族に至るまで,ユーラシア大陸の諸地域に,広く分散して居住している。しかし彼らは,必ずしも古くからこれらの諸地域に居住していたのではなく,たとえば,現在トルコ族の住むアナトリアは,もともとヒッタイト人やギリシア人の住地であり,また現在ウズベク族,ウイグル族などの居住する中央アジアのオアシス定住地帯は,ソグド人,トハラ人などアーリヤ系諸民族の住地であった。…
【サラセン】より
…このようなヨーロッパのキリスト教徒の嫌悪と軽蔑にみちたサラセン認識は,十字軍を準備する土壌であったが,十字軍の敗北とこれを通じてのイスラム教徒との接触は,すぐれたイスラムの文化やサラディン(サラーフ・アッディーン)をはじめとするイスラムの〈騎士〉像をヨーロッパに伝えるところとなった。 15世紀以降,イベリア半島のイスラム教徒がレコンキスタ(国土回復戦争)によって駆逐されると,ヨーロッパのキリスト教徒の主要な敵はオスマン・トルコとなり,トルコTurkがサラセンにかわってイスラム教徒の代名詞となっていく。またアラブ地域への旅行者がふえるにつれてアラブという呼称が一般化し,とくに遊牧のベドウィンをさすようになった。…
※「トルコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報