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キュタヒヤ条約 キュタヒヤじょうやくKütahya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キュタヒヤ条約
キュタヒヤじょうやく
Kütahya

1833年,西部アナトリア (小アジア) のキュタヒヤオスマン帝国エジプトムハンマド・アリーとの間で結ばれた条約。 31~32年にエジプト軍がシリアからアナトリアへ侵入するとスルタンマフムート2世はロシアの支援を要請したが (→ウンキャルスケレッシ条約 ) ,これに対して,オスマン帝国におけるロシアの影響力の拡大を恐れたイギリスとフランスの仲介でこの条約が成立した。これによりオスマン帝国はシリア,アダナクレタ島をエジプト領と認めた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典内のキュタヒヤ条約の言及

【キュタヒヤ】より

…11世紀以降,トルコ系諸族,ティムールの侵入・支配を受け,オスマン帝国時代はサンジャク(県)の主都がおかれた。1833年,イスタンブールをめざし進攻するエジプトのムハンマド・アリー朝とオスマン帝国の講和がこの地で結ばれた(キュタヒヤ条約)。イスタンブールとアンカラを結ぶ鉄道のほぼ中間に位置するエスキシェヒルおよび南方のアフヨンカラヒサルとは鉄道で結ばれる。…

【マフムト[2世]】より

…しかし,政治的には多難で,民族的独立を要求するバルカン諸民族の相次ぐ蜂起(1829年,ギリシア独立,セルビア自治権獲得)と,これに対するロシアの干渉とに苦しんだ。また,彼の強引な中央集権政策は,アナトリアの民衆の不満を増大させ,この地方に対する,ムハンマド・アリーのエジプト軍の進駐を容易にし,1833年のキュタヒヤ条約によってシリア割譲を余儀なくされた。また38年に彼がイギリスとの間に締結した通商条約は,オスマン帝国の関税自主権を喪失させ,半植民地化への道を開いた。…

※「キュタヒヤ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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