キュタヒヤ(その他表記)Kütahya

改訂新版 世界大百科事典 「キュタヒヤ」の意味・わかりやすい解説

キュタヒヤ
Kütahya

トルコ西部,ブルサの南東約120kmにある都市で,同名県の県都。人口17万5905(2003)。この地方の農業商業の中心地。古くはコテュアエウムCotyaeumと呼ばれ,初期キリスト教の中心地でもあった。11世紀以降,トルコ系諸族,ティムール侵入支配を受け,オスマン帝国時代はサンジャク(県)の主都がおかれた。1833年,イスタンブールを目ざし進攻するエジプトムハンマド・アリー朝とオスマン帝国の講和がこの地で結ばれた(キュタヒヤ条約)。イスタンブールとアンカラを結ぶ鉄道のほぼ中間に位置するエスキシェヒルおよび南方アフヨンカラヒサルとは鉄道で結ばれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キュタヒヤ」の意味・わかりやすい解説

キュタヒヤ
Kütahya

トルコ西部中央の都市で,同名県の県都。エスキシェヒルの南西 60km,丘陵のふもとを流れるポルスク川沿いに位置する。古くはコティアエウムとして知られ,マルマラ海地方からメソポタミアへの通路にあって,交易路の盛衰と運命をともにした。中世ビザンチンの町で,11世紀末にセルジューク・トルコに占領され,トルクメンの支配を経て,1429年オスマン帝国に吸収された。 16世紀には製陶業の中心として知られ,国内外のモスク聖堂などにタイルや彩色陶器 (ファイアンス) を供給した。 19世紀末には隣接するエスキシェヒルの発展に凌駕されたが,20世紀なかばには再び工業が隆盛となり繁栄を回復した。精糖,なめし皮,硝酸ソーダ,製陶,絨毯製造などの工業のほか,海泡石パイプなどの手工業などもある。アフィヨンカラヒサル,エスキシェヒルと鉄道,ハイウェーで結ばれている。人口 13万 944 (1990) 。

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