フランスの彫刻家。生地ディジョンで素描を学んだあとパリに出る。1812年ローマ賞を得るがイタリアには留学せず,ブリュッセルに工房をもち彫刻を教える。31年ふたたびパリに戻り,政治家ティエールの庇護を得て,未完成であったエトアール凱旋門の装飾浮彫の一つを委嘱され〈ラ・マルセイエーズ〉(1835-36)を完成。その他《ネイ元帥像》(1853,パリ,オプセルバトアール通り)などを制作した。作風は基本的には古典主義的であるが,情熱的な動勢をそなえ,真実を探求する姿勢の上に成り立っている。その作品は同時代の硬直し乾いた古典主義に衝撃をあたえ,そのためアカデミー入りが拒否されたほどである。リュードの彫刻は,たとえば法曹家大デュパンの醜い容貌を描写した胸像などを通じて,ロダンたちに強い影響をあたえた。
執筆者:中山 公男
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フランスの彫刻家。生地ディジョンのアカデミーに学び、1805年パリに移る。12年ローマ賞を受けるがローマ行きは実現されなかった。ナポレオン主義者で、彼の没落後の15年ブリュッセルへ亡命。同地でダビッドの庇護(ひご)を受ける。27年帰仏。31年のサロン出品作『亀(かめ)と戯れるナポリの少年』(ルーブル美術館)は国の買い上げとなり、この作品によって33年レジオン・ドヌール勲章を受ける。しかし、彼の名を全フランスに知らしめたのは、パリのエトアール凱旋(がいせん)門の台座を飾る巨大な浮彫り『1792年の義勇兵の出発』(1833~36)である。「ラ・マルセイエーズ」の通称で知られるこの作品は、手足を力強く対角線上に広げ、人々をいざなう女神の表現をはじめ、見る人に英雄的な感情をかき立たせ、ロマン主義彫刻の代表作とみなされる。晩年の主要な作品に『不滅へと目ざめていくナポレオン』(1845、フィクサン・レ・ディジョン)、『ネイ将軍記念像』(1853、パリのオプセルバトアール通り)がある。パリに没。
[上村清雄]
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