イギリスの地質学者。スコットランドのインノーディーに生まれる。オックスフォード大学で法律を学ぶ。のちに地質学に興味をもち、業務の合間に地質学を研究した。ロンドン大学キングズ・カレッジの教授、ロンドン地質学会会長となる。1830~1833年に『地質学原理』を著し、ハットンが唱えた学説を「斉一説」として提唱し世に広めるとともに、地質学に近代科学としての光をあてた。ダーウィンは進化論を提唱するにあたってこの著作の影響を強く受けたが、ライエルもまた後年ダーウィンの影響を受けた著作『古代の人間』(1863)を著している。終生熱心な自然観察者であり、老いても野外調査を捨てなかった。また、自然を観察してその記述にとどまるだけでなく、それから説をたてることをつねに心がけた。
[木村敏雄]
イギリスの地質学者。スコットランドの大地主の子として生まれる。1816年オックスフォード大学に入り,法律学を学ぶが,しだいに地質学に関心をもち,19年からロンドン地質学会会員となって研究を発表するようになる。21年卒業後弁護士となったが,27年からは地質学研究に専念する。ヨーロッパ各地を旅行した調査から,地球上では過去も現在と同じ自然の作用が働いていたという斉一説に傾き,30年《地質学原理》の第1巻を出版した。この副題には〈地球表面の過去の変化を現在も働いている諸原因によって説明しようという試み〉とあり,これはライエルがプレーフェアJohn Playfairの解説書で読んだJ.ハットンらの考えの強調である。ライエルの著作は,当時のG.L.C.F.D.キュビエらの激変説(天変地異説)や,師バックランドWilliam Bucklandらの神学的解釈に反対するもので,C.ダーウィンが第1巻をビーグル号にもちこみ,影響をうけたことは有名である。ライエルはこの考えに基づき,貝化石の比率による第三系の区分を行った(《地質学原理》第3巻,1833)。ダーウィンの進化論出版(1859)後,《古代の人間Antiquity of Man》(1863)を出版。ライエルの斉一説は地質学研究の基礎となったが,彼自身は漸進的変化に固執するあまり,40年アガシーJ.L.R.Agassizが氷河時代の存在を提唱したときには猛烈に反対した。
執筆者:清水 大吉郎
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…これに対して,無脊椎動物化石研究の端緒を作ったJ.B.deラマルク(1744‐1829)が反論し,今日の進化論につながる見解を発表した。この論争自体はキュビエの勝利に終わったが,天変地異説の方はC.ライエル(1797‐1875)の《地質学原理》(1830)で否定されることになった。ライエルの思想は〈斉一説uniformitarianism〉といわれ,〈現在は過去の鍵である〉ことを強調している。…
※「ライエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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