グレゴリオスパラマス(英語表記)Grēgorios Palamas

改訂新版 世界大百科事典 「グレゴリオスパラマス」の意味・わかりやすい解説

グレゴリオス・パラマス
Grēgorios Palamas
生没年:1296ころ-1359

ギリシアの神学者。静寂主義ヘシュカスモス)の擁護者。おそらくコンスタンティノープル生れ。早くから修道生活に志し,1318年ころアトス山に入り,静寂主義に親しんだ。26年にテッサロニケ聖職につき,再びアトス山に戻った。37年にはカラブリア出身の修道士バルラアムBarlaamが提起した静寂主義論争にまきこまれた。バルラアムは神学上の問題からさらに進んで,アトス山の静寂主義者たちのヨーガに似た特殊な修行方法を攻撃した。これに対しグレゴリオスは静寂主義の弁護に立ちあがった。この論争は首都コンスタンティノープルに波及し,政治家,学者などの多くはバルラアムに荷担したが,コンスタンティノープルで開かれた3回の主教会議(1341,1347,1351)でグレゴリオスの立場が認められた。なお彼は47年にテッサロニケ主教に選ばれた。主著《聖なる静寂主義者たちについて》(1338ころ)。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のグレゴリオスパラマスの言及

【ヘシュカスモス】より

…それに対して,南イタリアのカラブリア出身で,西方神学の素養のある修道士バルラアムBarlaamが,14世紀前半に,ヘシュカスモスには異端の疑いがあるとして激しく攻撃し,大論争となった。首都コンスタンティノープルの知識層はバルラアムを支持したが,神学者でテッサロニケ大主教をつとめたグレゴリオス・パラマスがヘシュカスモスを擁護した。この問題をめぐって7回の主教会議が開かれ,政治的な配慮もあって,最終的にはパラマスの立場が勝利を得て,ヘシュカスモスは公式に認められた。…

※「グレゴリオスパラマス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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