アトス山(読み)アトスサン(英語表記)Áthos

デジタル大辞泉 「アトス山」の意味・読み・例文・類語

アトス‐さん【アトス山】

Athos》ギリシャ北部、ハルキディキ半島最先端にある山。標高は2033メートルで、東方正教会聖地。周辺地域には7世紀頃から修道士たちが住み始め、10世紀には修道士アタナシウスがメギスティラブラ修道院をつくった。現在も20の修道院があり、約2000人の修道士が女人禁制の禁欲的な生活を送っている。1988年に世界遺産複合遺産)に登録された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アトス山」の意味・わかりやすい解説

アトス山
あとすさん
Áthos

ギリシア北部にあるギリシア正教の聖地。カルキディキ半島の先端の三つの半島のうち、いちばん東側の半島をさす。長さ45キロメートル余。古代には、半島は初めアクテAktēとよばれ、半島先端の標高2033メートルの最高峰アトス山と称したが、のちに半島全体をアトス山とよぶようになった。紀元前492年に半島先端を迂回(うかい)しようとしたペルシア艦隊が嵐(あらし)のために壊滅したことに懲りて、ペルシア王クセルクセスは前483~前481年に、幅約2キロメートルの半島基部に運河を掘った。たぶん紀元後7世紀以前から、キリスト教の修道士たちが孤独の隠修生活を求めて人跡まれなこの半島に住み着いた。963年に石造の大ラブラ修道院を創建したアタナシオスAthanasios(920ころ―1000ころ)により、東方教会的な修道院生活の一中心となる基礎が据えられた。1046年には、公式に「聖山」Ayion Orosの名称を与えられ、15世紀に繁栄の頂点に達し、15~19世紀のオスマン・トルコ帝国支配の時代にも一定の独立性を認められた。今日のアトス山は20の修道院と付属する多数僧庵(そうあん)からなり、1926年に発効した特許状に基づいて、ギリシア共和国に属しつつも自治権を有し、また女人禁制で、男子入山も特別の許可を要する。なお、この聖地は1988年に世界遺産の複合遺産(文化、自然の両方価値がある遺産)として登録されている(世界複合遺産)。

[清永昭次]

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世界遺産詳解 「アトス山」の解説

アトスさん【アトス山】

1988年に登録された世界遺産(複合遺産)。アトス(アソス)山は標高2033m。ギリシア北部のアクティ半島にあるギリシア正教の聖地である。岩が切り立った峰や深く険しい渓谷があり、秘境といってもよい険しい山中に20あまりの修道院が点在し、ローマのバチカンと同様、宗教中心地として正教会の修道院によって自治が行われる宗教共和国(「聖山の修道院による自治国家」)になっている。これらの修道院は10世紀頃から建造されたもので、現在でも、厳格な戒律による厳しい修行の場となっており、1400人あまりの修道士が生活を送っている。ここは中世以来、ギリシア正教の聖地となってきたことから、壁画家エマヌエル・パンセリノスのフレスコ画や美術品など、多数のビザンチン文化の遺物を所蔵している。こうした宗教資産(文化遺産)とアトス山の自然景観(自然遺産)が、ともに世界遺産として認定され、複合遺産となっている。アトス山への入山はウラノポリから船か徒歩による手段しかない。また入山には許可証の公布を受ける必要があり、11世紀、ビザンチン帝国が女人禁制としたため、女性は入山できない。◇英名はMount Athos

出典 講談社世界遺産詳解について 情報

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