グレゴリオス(読み)ぐれごりおす(その他表記)Grēgorios ho Nyssa

精選版 日本国語大辞典 「グレゴリオス」の意味・読み・例文・類語

グレゴリオス

  1. ( [ラテン語] Grēgorios )
  2. [ 一 ] ギリシア神学者東方教会の四大博士の一人カッパドキアのナジアンゾスに生まれる。コンスタンチノープルの主教をつとめ、引退後ニカイア信仰の完成に努力。雄弁家として知られ、散文、詩、書簡を残す。(三三〇頃‐三九〇頃
  3. [ 二 ] ギリシアの神学者。東方教会の教父。聖バシリウスの弟。カッパドキアのニッサの主教をつとめ、コンスタンチノープルの宗教会議では、アリウス派と戦って正統的三位一体論を弁護した。主著「大教理問答書」。(三三二頃‐三九五頃

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレゴリオス」の意味・わかりやすい解説

グレゴリオス(ニッサのグレゴリオス)
ぐれごりおす
Grēgorios ho Nyssa
(335ころ―394)

東方教会の伝統にあって神学、哲学面での代表者の一人。「教父中の教父」。4世紀という「教父の黄金時代」――それはまた古典ギリシアの「真のルネサンス」でもあったが――を担う。兄の大バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオスとともに、「カッパドキアの三つの光(カッパドキア三教父)」とたたえられる。小アジアのカッパドキアの町カエサレアの由緒あるキリスト教徒の家柄に生まれ、バシレイオスの薫陶を受けた。初め修辞学の教師となったが、ナジアンゾスのグレゴリオスの影響もあって修道生活に入り、371年、兄の要請で小市ニッサの主教となる。アリウス派の皇帝バレンスValens(在位364~378)の圧迫により聖職を一時免ぜられたものの、復帰後、381年に出席したコンスタンティノープルの公会議では、ニカイア信条のうたう三位(さんみ)一体の正統教義(とくに聖霊の神性)の確立に主導的役割を果たした。その後は観想のうちに神秘神学の書を数多く著す。グレゴリオスは、人間であることの普遍の形、すなわちアレテー(徳)を、超越的善とのかかわりにおける「絶えざる生成」としてとらえ、そこに神の名たる「存在」のロゴス化(受肉)をみた。そうした魂の再生と神化にあずかる「自由なる択(えら)び」は、神と人との協働であるという。総じて、クレメンスオリゲネスの学統の継承展開であり、プラトン主義的キリスト教哲学の一つの完成形態である。グレゴリオスは、バシレイオスや次代の「金の口」ヨハネス・クリソストモスほど偉大な司牧家ではなかったが、思弁的神秘家として彼らをしのいだ。著作に『大教理講話』Oratio Catechetica Magna、『エウノミオス駁論(ばくろん)』Contra Eunomiumなどの教義的大作、『雅歌註解(ちゅうかい)』In Canticum Canticorum、『モーセの生涯』De Vita Moysisといった知性的神秘主義ともいうべきアレゴリー的聖書解釈の書、および『処女性について』De Virginitate、『マクリナの生涯』Vita Macrinaeなどの修道的作品が残されている。

[谷隆一郎 2015年1月20日]

『W・イェーガー著、野町啓訳『初期キリスト教とパイディア』(1964・筑摩書房)』『アダルベール・アマン著、家入敏光訳『教父たち』(1972・エンデルレ書店)』『J. QuastenPatrology (1975, Spectrum, Utrecht, Antwerp)』『B. AltanerPatrologie (1978, Herder, Freiburg, Basel, Wien)』


グレゴリオス(ナジアンゾスのグレゴリオス)
ぐれごりおす
Grēgorios ho Nazianzos
(329ころ―389ころ)

バシレイオス、ニッサのグレゴリオスとともに「カッパドキア三教父」の一人。「神学者」とも称される。父はカッパドキアのナジアンゾスの司教。当時のキリスト論論争の激化のなかで、正統派の信仰を擁護、とくにキリストの人性をあいまいにしたアポリナリオスの説に反対して、キリストの完全な人性を主張した。381年、コンスタンティノープルの司教に就任したが、まもなく辞任、以後隠修生活に入った。彼は「クリスチャン・デモステネス」とよばれたほど雄弁な説教家で、優れた著述家でもあり、古典的教養に満ちた数々の著作を通じて正統派の三位(さんみ)一体論の完成に尽力した。

[島 創平 2015年1月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「グレゴリオス」の意味・わかりやすい解説

グレゴリオス(ナジアンゾスの)
Grēgorios
生没年:329-389

ニカエア信仰の確立に貢献したギリシア教父。〈カッパドキア三星〉のひとり。カッパドキアのナジアンゾスNazianzos(現,ネネジ)の主教の息子。アテナイで学び,その地で大バシレイオスと友誼を結んだ。故郷に戻り,意思に反して司祭となり,のち新たに設けられたサシマの主教に任命されたが,それを断り,ナジアンゾスで父の主教職の補佐をつとめた。父の死後,イサウリアのセレウキアに隠棲し,修道生活をおくった。しかし,ニカエア派の皇帝テオドシウス1世の登極とともに,379年アリウス派が勢力をふるっていたコンスタンティノープルに呼ばれた。そして復活教会を本拠にニカエア派の立直しをはかり,381年のコンスタンティノープル公会議ではニカエア派が全面的な勝利をおさめた。この公会議でコンスタンティノープル主教に推されたが,教会政治上の争いにまきこまれ,その年のうちにそれを辞し,カッパドキアに戻った。晩年は,キリストの人性に制限を加えたアポリナリオスの教説と戦った。著作は多数にのぼる。雄弁家として華麗な説教で知られたコンスタンティノープル時代の説教集は,キリスト教的弁論の手本となった。また生前みずから公刊した書簡集によって書簡文作家としての名声も得た。さらに晩年は詩作に手をそめた。大バシレイオスとともに,オリゲネスの著作からの抜粋《フィロカリア》を編集した。
執筆者:


グレゴリオス(ニュッサの)
Grēgorios
生没年:330ころ-395ころ

ニカエア信仰の根幹をなす三位一体論を確立したギリシア教父。〈カッパドキア三星〉のひとり。大バシレイオスの弟。カッパドキアのカエサレアの名門の出身で,弁論家として立ったが,ほどなく聖職を志し,兄の建てた修道院に入った。371年ころニュッサNyssaの主教に推されたが,アリウス派によって罷免され,ウァレンス帝の死(378)まで追放されていた。381年のコンスタンティノープル公会議ではニカエア派の勝利のために尽力した。その後は教会の使命を帯びて各地を旅行した。教会政治家としては兄ほどのめざましい業績をあげなかったが,古代の異教哲学の方法をも身につけた思想家として,ニカエア信仰の完成に寄与した。三位一体論に関して,アタナシオスの神学においても混同のあった〈ウシア(本質)〉と〈ヒュポスタシス(位格)〉をはっきり区別し,今日に伝わる一本質三位格の神論を確立した。キリスト論について,受肉はマリアの胎内で行われるがゆえに,マリアは真の〈テオトコス(神の母)〉であるとした。終末論についてはオリゲネスの影響が著しい。多数の著作を残したが,アポリナリオス,エウノミオスなどに対する駁論によって自己の神学説を展開,また《教理講話》では三位一体論を中心とする教義を解説。修道生活については《純潔論》,女子修道院長をつとめた姉マクリナの伝記などが知られる。
執筆者:


グレゴリオス(アルメニアの)
Grēgorios
生没年:240ころ-332

アルメニアにキリスト教を伝えたアルメニア貴族の末裔。〈開明者〉と称される。カッパドキアに育ち,280年ころ故国に帰り,同じころアルメニアに帰国した国王ティリダテス(トルダト)3世の改宗に成功した。かくしてアルメニアは,4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を国教として受容した。グレゴリオスは再びカッパドキアに行き,カエサレア主教によって主教に叙階され,帰国後,国王によってアルメニア教会の首長カトリコスに任命された。アガタンゲロスによる伝記が残されている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「グレゴリオス」の意味・わかりやすい解説

グレゴリオス(ナジアンゾスの)【グレゴリオス】

ギリシア教父。〈カッパドキア三星〉の一人。ナジアンゾスNazianzos主教の子として生まれ,アテナイに学んでバシレイオスと知遇を得た。対アリウス派闘争に邁進(まいしん),381年のコンスタンティノープル公会議でニカエア派を勝利に導き,一時コンスタンティノープル主教となった。説教集,書簡集は有名で,オリゲネス著作の抜粋《フィロカリア》の編者としても知られる。
→関連項目カッパドキア

グレゴリオス(ニュッサの)【グレゴリオス】

ギリシア教父。ニュッサNyssa主教。バシレイオスの弟で,〈カッパドキア三星〉の一人。一貫してアリウス派と闘い,三位一体の正統教義,ウシア(本質)とヒュポスタシス(位格)の峻別にもとづく一本質三位格の神論の確立に努めた。著作《教理講話》《純潔論》ほか。
→関連項目カッパドキア

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世界大百科事典(旧版)内のグレゴリオスの言及

【神学】より

…4世紀から5世紀初めは神学の伝統が確立した時期である。東方ではアタナシオス,バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオスらが三一神論の確立に努力した。また神礼拝を通して人間の神化が目ざされる修道的・霊的・神秘的な東方教会の神学の基礎がすえられた。…

【ビザンティン文学】より

…最も正確にある話を人前で述べ,何かを叙述し,一命題について賛成,反駁を行い,一つのメンタリティになりきって考え,個々の主題を根拠づける等々の諸形式にのっとって作文を書かせる,プロギュムナスマタprogymnasmataと呼ばれた数多くの下稽古作品には,凡庸な大多数の綴方に交じって,ギリシア神話に題材を求めた,バシラケスNikēphoros Basilakēs(1115‐80ころ)の《一頭の牡牛に熱愛されてパシファエは何といったか》のような性的倒錯症を思わせるものや,風呂好きの享楽主義者である一府主教を取り上げた,エウスタティオス(12世紀)の《モキッソス府主教は,恩人である至聖の総主教ミハエルの死去の翌日に入浴中,大オイコノモス職のパンテクネスの指令により,ベッドカバー,湯上りタオルその他が取り上げられ,まちの貧乏人たちに施物として与えられたとき,何といったか》のような実話もどきのものも含まれている。修辞学の技術を最高度に駆使した代表的なジャンルが,皇帝や国家・教会高官にささげられた,エンコミアenkōmiaと呼ばれた数多くの賛美演説,その反対の,プソゴスpsogosと呼ばれた非難演説(なかでも興味ある一事例は,皇帝ユリアヌス作のアンティオキア市民に対する《ひげ嫌い》の作品),墓碑銘と弔辞,その他の機会の演説,君主の鑑(たとえば,アガペトスがユスティニアヌス1世に,オフリト大主教テオフュラクトスがドゥカス家のコンスタンティノスに,ニケフォロス・ブレミュデスが弟子たる若き皇太子テオドロス2世ラスカリスに,マヌエル2世が後継者たる子のヨハネス8世にあてたもの),自伝(リバニオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ミハエル8世,キュドネス・デメトリオス),都市や教会の描写(テオドロス・メトヒテスのコンスタンティノープル,パウロス・シレンティアリオスのハギア・ソフィアなど)などである。
[歴史叙述]
 ビザンティン帝国の歴史はそのほぼ全期間がプロコピウスプセロスアンナ・コムネナ,ニケタス・ホニアテスNikētas Chōniatēs(1155ころ‐1215∥16),ヨハネス6世カンタクゼノスIōannēs VI Kantakouzēnos(在位1341‐54)その他の史書や,歴史の主人公でもある皇帝,皇子,皇女,高官などの自身による同時代史叙述によっておおわれている。…

【神学】より

…4世紀から5世紀初めは神学の伝統が確立した時期である。東方ではアタナシオス,バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオスらが三一神論の確立に努力した。また神礼拝を通して人間の神化が目ざされる修道的・霊的・神秘的な東方教会の神学の基礎がすえられた。…

【バシレイオス[カッパドキアの]】より

…〈カッパドキア三星〉のひとり。ニュッサのグレゴリオスの兄。〈大バシレイオス〉と呼ばれ,東方教会では〈修道生活の父〉として特に敬意がはらわれている。…

※「グレゴリオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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