出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この状態は1890年代にヨーロッパの影響によって演劇改革運動が起こるまで続く。19世紀のロンドン劇壇の中心は,18世紀と同じく,ドルーリー・レーン,コベント・ガーデンの二大劇場であったが,数度の改造の結果,19世紀初めにはどちらも3000人以上を収容する巨大な劇場になっていた。必然的にだしものは大味になり,文学性よりもスペクタクル性に頼るものとなった。…
…現,国立海事博物館)など,細部意匠はパラディオやセルリオらの建築を手本としながら,全体構成では重厚で,整然とした造形を追求。パラディオに基づきトスカナ式オーダーを復元したセント・ポール教会(1637)を含む,コベント・ガーデンCovent Gardenにおけるイギリス最初の広場計画,ホワイトホール宮殿計画案(1638ころ),セント・ポール大聖堂の修復(1642。1666焼失)などが主要作である。…
…テラス(台地)状に整地した敷地に,標準化された型式で建設されたため,この呼称が生まれた。1630年ロンドンのコベント・ガーデンの広場周辺に建設されたものがこの型式の祖型といわれ,以後ロンドン,バースをはじめ多くの都市に建設された。テラス・ハウスは集合住宅全体の正面を宮殿のように構成するものが多く,またスクエアsquareと呼ばれる広場を囲むものが多かったため,都市景観を引き立てた。…
…またロンドン自体が巨大な消費市場であるため,商業活動も活発である。スミスフィールドの肉市,スピタルフィールズ,およびコベント・ガーデンから移設されたナイン・エルムズの両青物市などの伝統的な卸売市場のほか,ウェスト・エンドのリージェント街,ボンド街,オックスフォード街が高級ショッピング街として名高い。ロンドンは工業都市としても重要であり,ウェスト・エンドやイースト・エンドには衣服,宝石などの小規模な消費財工業が,テムズ川下流沿岸にはセメント,精糖,自動車,造船などの重工業がそれぞれ立地する。…
※「コベントガーデン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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