スペランスキー(Mihail Mihaylovich Speranskiy)(読み)すぺらんすきー(英語表記)Михаил Михайлович Сперанский/Mihail Mihaylovich Speranskiy

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

スペランスキー(Mihail Mihaylovich Speranskiy)
すぺらんすきー
Михаил Михайлович Сперанский/Mihail Mihaylovich Speranskiy
(1772―1839)

ロシアの政治家。伯爵。田舎(いなか)の聖職者の家庭に生まれる。ペテルブルグの神学校を卒業したが、1797年からのちの内務省に勤務。アレクサンドル1世に認められて1809年10月、ロシア最初の憲法草案ともいうべき大幅な国家改造案を作成したが、国内の保守的な官僚、貴族層の反対とナポレオン戦争のために、これはごく一部が実施されただけで終わった。12年、皇帝寵愛(ちょうあい)を失ってシベリア流刑となったが、19年にはシベリア総督に就任。ニコライ1世の即位とともに中央政界に復帰し、デカブリストの審問委員会の議長や、『ロシア帝国法令全集』の編集の指導などにあたった。

[外川継男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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