刑罰の一種で,罪人を辺境の地や離島に送り,拘禁ないし強制的に定住させる刑。労働に従事させる場合も多い。流刑に処された土地を流刑地という。日本では流罪(るざい)ということが多く,また江戸時代には離島に送る刑を遠島といった。日本に関しては〈流罪〉〈遠島〉の項を立てたので,ここでは中国とヨーロッパの流刑について述べる。
単に〈流〉ともいう。刑罰の中でも最も古い起源をもつもので,古典に〈放〉〈逐〉〈殛(きよく)〉などとも記される。追放であって,共同体との結びつきを絶たれ,生命は全うしがたい。かのゲルマンの〈平和喪失〉といわれるのもこれと同質である。しかししだいに社会が発展して閉鎖的な共同体でなくなる以後の流刑は質が変わり,一国の領土内において強制的に僻遠(へきえん)の地に移住させ,労役を課す内容となった。隋・唐以後の体系的な刑法典である〈律〉(律令格式)の〈五刑〉すなわち笞(ち)・杖・徒(ず)・流・死なる刑罰体系の中では死刑につぐ重刑である。唐代を例にとると,2000里,2500里,3000里の遠地に流し,労役1年を課し,特に重いものは3000里と労役3年となっている。労役の期間が過ぎるとその場所で戸籍に付せられ,故郷に戻ることはできない。妻,妾は必ず随従し,直系の尊属卑属は従う義務はないが願い出れば許され,受刑者が死亡すれば家族は願い出て帰ることができる。清代も原則は同じで上記3等の差があるが,必ず杖一百を加えられ,さらに流の軽いものに〈遷徒(せんし)〉,重いものに〈充軍〉〈発遣〉がある。充軍に5等の差があり,最も重いものは雲南,貴州,広東,広西に流するのが常例で,軍関係の労役につかせる。発遣は最重の流であるが,吉林,黒竜江,イリ,ウルムチ等で労役に就かしめた。環境劣悪で労働力の得にくい場所に送ったことはその通りであるが,故郷と切り離され,生涯身よりのない場所で苦役させるわけである。
執筆者:奥村 郁三
古代のギリシアおよびローマでは,重罪人が死刑をまぬがれるために,国外ないし外地に逃避することがあったが,これがやがて,一種の刑罰に転化し,市民権の喪失と財産没収とをともなう終身的追放刑となった。とくにローマでは,その帝政期には,特定の地に犯人を輸送し,軍事力をもって抑留・監視し帰来を禁止する形態の刑罰が出現した。すなわち流刑であるが,流刑者は,政治犯のほか姦通,毒殺,偽造等の重罪人であり,流刑地は,一般には,サルディニア,ロドス,クレタなどの島である。並行してこれの緩和形態として,市民権喪失と財産没収とをともなわない,ときには流刑地の選択も受刑者に認められうる,しかも軍事力の監視に服しない,無期または有期の刑種もあった。
ヨーロッパで流刑が一般化するのは,海外植民地の争奪が始まる近世以後である。例えば,イギリスでは,16世紀末以来死刑の代替刑として出現し,18世紀には確たる制度となり,流刑囚は大量にアメリカ,アフリカ,とくにオーストラリアに送り出された。彼らは,流刑地で道路や橋梁の建設などの重労働に服し,植民地の開発の一手段にされた。このことは,当時のヨーロッパの他の諸国でもだいたい同じである。スペイン,ポルトガルはそれよりやや早くからアフリカや南アメリカを,フランスは18世紀末からギアナやニューカレドニアを,オランダは東洋の諸島を,デンマークはグリーンランドを,そして,ロシアはピョートル大帝時代の1710年以降シベリア,サハリンなどを,大量の囚人の流刑地とした。これらの場合,当該地での監禁がともなうこともともなわないこともある。流刑の制度は,ヨーロッパでは,国により差はあるが19世紀中葉から20世紀中葉までの間に一般には廃止された。
執筆者:塙 浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
犯罪人を地方、ことに辺境または島地に送り、定住させる刑。犯罪人にとってもちろん苦痛であるが、おもな目的は犯罪人を遠地に隔離する点にあったと考えられる。ヨーロッパではロシアがシベリアを、イギリスがオーストラリアを流刑地としたことは有名であるが、ナポレオン1世がセント・ヘレナに流されたのも流刑である。中国でも古くから流刑の制はあり、完全に廃止されたのは、1912年施行の「暫行(ざんこう)新刑律」によってである。
日本の「養老(ようろう)律」(718)では、五罪(五刑)の一つに流罪がある。死刑に次ぐ重刑で、近流(こんる)・中流(ちゅうる)・遠流(おんる)の三等がある。『延喜式(えんぎしき)』(967年施行)によれば、越前(えちぜん)国(福井県)・安芸(あき)国(広島県)などが近流の国、信濃(しなの)国(長野県)・伊予国(愛媛県)などが中流の国、伊豆国(静岡県)・安房(あわ)国(千葉県)・常陸(ひたち)国(茨城県)・佐渡国(新潟県)・隠岐(おき)国(島根県)・土佐国(高知県)などが遠流の国とされた。配流された者は、配所で1年間労役させられるが、役が終われば、それぞれの配所で戸籍に載せられ、公民として口分田(くぶんでん)を給された。配流地には妻子を伴わなければならなかった。これは一面では温情主義によるものともいえるが、妻子を縁坐(えんざ)させたともいえよう。中世でも流罪は行われたが、武士の場合、没収すべき所領のない者を流罪に処したことからもわかるように、流罪は所領の没収に次ぐ刑とされた。江戸時代には流刑は遠島(えんとう)とよばれ、死刑に次ぐ重罪とされた。遠島ということばの示すように、文字どおりの島流しであるが、生活条件の悪い島に流されるのであるから、上世の流罪よりもはるかに残酷な刑だったといえよう。流人(るにん)が島から脱走することを「島抜け」といい、捕らわれればその島で死刑に処せられた。
明治時代になってからは、1868年(明治1)の仮刑律は、最初、遠・中・近流の三等、のちに3年・5年・7年の3等の流刑を定めたが、70年制定の新律綱領では、1年・1年半・2年の3等の流刑を定めている。いずれも北海道に移して役させるのであるが、役が終われば、その地の戸籍に編入し、生業を営ませた。82年施行の旧刑法では、島地(北海道)に発遣する刑に徒刑と流刑があった。徒刑は非国事犯に適用され、定役(強制労働)に服させる。流刑は国事犯にだけ適用され、獄に幽閉するが、定役には服させない。刑期はいずれも無期と有期(12年以上15年以内)であった。1908年(明治41)現行刑法の施行とともに流刑はまったく廃止された。
[石井良助]
字通「流」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…やがて,フランス刑法を範とした旧刑法(1870公布)は,きわめて多様な自由刑を認めたために,刑名も多くなった。死刑,徒刑,流刑,懲役,禁獄(以上,重罪の主刑),禁錮,罰金(以上,軽罪の主刑),拘留,科料(以上,違警罪の主刑),および,剝奪公権,停止公権,禁治産,監視,罰金,没収(以上,付加刑)がそれであった。現行刑法(1907公布)は,刑の種類をはるかに制限し,徒刑(とけい),流刑(いずれも,犯罪人を離島などの遠隔地に送致し,その地において有期または無期間滞在させる刑。…
…やがて,フランス刑法を範とした旧刑法(1870公布)は,きわめて多様な自由刑を認めたために,刑名も多くなった。死刑,徒刑,流刑,懲役,禁獄(以上,重罪の主刑),禁錮,罰金(以上,軽罪の主刑),拘留,科料(以上,違警罪の主刑),および,剝奪公権,停止公権,禁治産,監視,罰金,没収(以上,付加刑)がそれであった。現行刑法(1907公布)は,刑の種類をはるかに制限し,徒刑(とけい),流刑(いずれも,犯罪人を離島などの遠隔地に送致し,その地において有期または無期間滞在させる刑。…
…古代以来明治末まで行われた死刑につぐ重刑。流刑(るけい)。日本の古語には刑を意味する語がなく,ともに罪と称し,唐律に流刑というのを日本律では流罪といった。…
※「流刑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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