ターヘルアナトミア

デジタル大辞泉 「ターヘルアナトミア」の意味・読み・例文・類語

ターヘル‐アナトミア

ドイツの医師クルムスが著した「Anatomische Tabellen(解剖図譜)」を、オランダの医師ディクテンがオランダ語訳した「Ontleedkundige Tafelen」の、日本での通称杉田玄白前野良沢らによる「解体新書」の原著となった。

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精選版 日本国語大辞典 「ターヘルアナトミア」の意味・読み・例文・類語

ターヘル‐アナトミア

  1. ドイツ人クルムス著「解剖図譜」のオランダ語訳の書名の、日本での呼称。「解体新書」の原本

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百科事典マイペディア 「ターヘルアナトミア」の意味・わかりやすい解説

ターヘル・アナトミア

解体新書》の原本の通称。杉田玄白前野良沢の入手した本は,ドイツの学者J.A.クルムスの解剖学入門書(1732年刊)のオランダ訳本(1734年刊)で,題名一部のラテン語タブラエ・アナトミカエ(解剖学表)から,この通称が生まれたのではないかとされている。

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改訂新版 世界大百科事典 「ターヘルアナトミア」の意味・わかりやすい解説

ターヘル・アナトミア

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世界大百科事典(旧版)内のターヘルアナトミアの言及

【解体新書】より

…1774年(安永3)刊。1771年(明和8)の骨ヶ原(小塚原)の腑分けがきっかけとなって,当時《ターヘル・アナトミア》と俗称されたドイツ人クルムスJ.Kulmusの解剖書の蘭訳本(1734刊)を日本訳したもので,江戸の杉田玄白,前野良沢ら蘭学グループが参画したが,良沢の名前は記されていない。これは幕府の出版取締りをおしはかって,もし幕府のとがめを受けたとき,先輩で盟主格の良沢に累を及ぼさないための配慮とみられる。…

【クルムス】より

…バーゼル大学で医学の学位をとり,ダンチヒで開業し,1725年同所のギムナジウムの博物学教授となった。著書《Anatomische Tabellen》(1722)の蘭訳本(通称《ターヘル・アナトミア》)が,74年(安永3)杉田玄白らによって《解体新書》として翻訳刊行された。彼は日本ではよく知られているが,欧米ではあまり知られていない。…

【杉田玄白】より

…その過程で実験にもとづく実証的なオランダ医学の水準を知り,同僚の中川淳庵や中津藩医の前野良沢らとともに,江戸参府のオランダ人一行の宿舎長崎屋に蘭館医や通詞たちを訪ね,治療の実技を見学したり外科の原書を借り受けてその精巧な図版を筆写したりして見聞をひろめた。さらにクルムスJ.Kulmusの解剖書(いわゆる《ターヘル・アナトミア》)を入手し,それに引き続いて千住骨ヶ原(小塚原)で刑死体の解剖を実見する機会をもって,オランダの解剖書の正確なことを確認した。明和8年(1771)3月4日,玄白39歳のときである。…

※「ターヘルアナトミア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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