日本大百科全書(ニッポニカ) 「チュイルリー庭園」の意味・わかりやすい解説
チュイルリー庭園
ちゅいるりーていえん
Jardin des Tuileries
フランス、パリのセーヌ川右岸、ルーブル宮殿からコンコルド広場までおよそ1キロメートルほど続く庭園。1563年にカトリーヌ・ド・メディシスが、建築家ドロルムに設計させてチュイルリー宮殿(現在破壊)を造営、その傍らにイタリア式庭園を設けたのが始まりで、1664年コルベールの命を受けて造園家ル・ノートルが現在みられるようなフランス式庭園につくりかえた。庭園の東西にそれぞれ円形と八角形の泉水を配し、両泉水間を結ぶ長いプロムナードの両わきには花壇が左右相称的に整然と並び、その間にはギリシア・ローマ神話にちなむ彫像、歴史上の人物の肖像などが配置されている。とくにコンコルド広場に面した出入口を飾る彫刻家コアズボの『メルクリウス』と『名声』が名高い。なお、チュイルリーは「瓦(かわら)工場」の意で、宮殿が造営される以前ここに瓦を焼くための窯があったことに由来する。
[篠塚二三男]