日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンコルド広場」の意味・わかりやすい解説
コンコルド広場
こんこるどひろば
Place de la Concorde
フランスの首都パリの中央部、セーヌ川右岸第8区にある広場。東西360メートル、南北210メートルの方形で、パリ市内最大の広場である。南はセーヌ川に臨み、コンコルド橋によって対岸の下院(ブルボン宮)に通じ、北はロアイヤル通りが延び、マドレーヌ教会の正面と対峙(たいじ)している。東はチュイルリー庭園、西はシャンゼリゼ大通りに通ずる。中央に、1836年エジプトのルクソールから移したオベリスクが立ち、それを挟んで南北に噴水が、周囲にフランスの諸都市を象徴する女神像が配置され、均整のとれた広場となっている。広場は1757~63年ガブリエルによって建設され、72年までルイ15世広場、92年レボリュシオン(革命)広場、95年コンコルド(和合の意)広場と改称され、一時ルイ15世広場に復したこともあるが、1830年以来現名となっている。フランス革命中はギロチン(断頭台)が設けられ、ルイ16世、マリ・アントアネットをはじめ多くの名士の処刑が行われた舞台として有名である。この広場を含むパリのセーヌ川の河岸は1991年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[高橋 正]