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トゥーデ党 トゥーデとうḤezb-i Tūdeh-ye Īrān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トゥーデ党
トゥーデとう
Ḥezb-i Tūdeh-ye Īrān

ツーデ党とも呼ばれる。第2次世界大戦下に再建されたイラン共産党を核とする「民族解放・民主主義戦線」。幹部の多くはレザー・シャーの軍部独裁時代に逮捕されたが,大戦中に釈放され,1941年9月 20日同党を結成した。進歩的インテリ,学生,労働組合に大きな指導力を有し,大戦中は反ファシズムの民主主義戦線として,機関誌『マルドム (人民) 』を発行。 43年冬から 44年の選挙では8名の代議士を当選させた。この時期にジヤーが反共の「ワタン党」を組織してこれと激しく対立した。 44~46年に党勢は頂点を迎え,冷戦下の 46年に党員 10万人を誇称した。 44年夏,党大会を開き,綱領を採択。 46年弾圧され,49年2月にはシャー暗殺未遂事件により非合法化。石油国有化運動のなかで復活したが,53年大弾圧を受け,1950年代後半から主力は東ドイツに移り,78~79年のイラン革命で再復活した。しかし 83年2月,ソ連のスパイ容疑で幹部が逮捕され,5月には解散命令が出て解党した。

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世界大百科事典内のトゥーデ党の言及

【マレキー】より

…帰国後は中等学校の教師を務めるが,1937年,タギー・アラニーらとともに反共法違反の嫌疑をかけられた〈53人〉の一人として逮捕される。釈放後トゥーデ党(イラン共産党)の結成に加わるが後に脱党。石油国有化闘争期には自ら〈第三勢力Nīrū‐ye Sevvom〉を結成し,モサッデクを支持した。…

※「トゥーデ党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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