トルコのクルド(読み)とるこのくるど

知恵蔵 「トルコのクルド」の解説

トルコのクルド

トルコの総人口の約4分の1はクルド人といわれ、1500万人を超えるクルド人が生活している。1923年のトルコ共和国の成立以来、政府は、トルコにはクルドはいない、いるのは「母国語を忘れた山岳トルコ人」だけだという姿勢をとってきた。クルド人は何度も抵抗運動を起こしたが、武力鎮圧を受けてきた。最近の例が78年にアブドラ・オジャランの指導下で設立されたクルディスタン労働者党(PKK)である。PKKはシリア後ろ盾を得て、84年からゲリラ戦を開始した。クルド地域での内戦によって、3000の村落が放棄され、100万人単位で住民が難民として大都市に流入しスラムを形成している。彼らがイスラム系政党の社会福祉のネットワークに助けられ、その支持者となる例が多い。トルコのクルド問題のもう1つの舞台は、欧州である。ドイツを中心に欧州に働きに出た「トルコ人」のうちのかなりの部分はクルド人であり、その数は50万人と推定されている。彼らは欧州各地で組織を作り、欧州の世論にクルド問題を提起し続けている。99年、指導者のオジャランが逮捕され、PKKは停戦に入った。トルコ政府はEUへの加盟を果たすためにクルド語使用を認めるなどの軟化の姿勢を見せてきた。しかし近年になってクルド人の手によるとされる爆破事件が起こっている。またクルド人の間でイスラム急進派の影響力が拡大している。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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