バルフォア報告(読み)バルフォアほうこく(英語表記)Balfour Report

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルフォア報告」の意味・わかりやすい解説

バルフォア報告
バルフォアほうこく
Balfour Report

第1次世界大戦後イギリス本国議会の束縛を脱しようとする自治領諸国の動きに対し,1926年イギリス帝国議会が帝国とそれらの国との相互関係を調査する小委員会を任命,同会が A.バルフォア枢密院議長 (元外相) の指導もとに作成した報告書。それによれば,大ブリテンと自治領諸国は「王権に対する共通の忠誠心により結合されるが,対等の資格をもち,それぞれ国内的問題については相互に従属することなく,イギリス連邦の構成国として,自由に連合したイギリス帝国内の自治社会」と定義した。この報告は 31年ウェストミンスター憲章として全面的に実現された。

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世界大百科事典(旧版)内のバルフォア報告の言及

【ウェストミンスター憲章】より

…自治領諸国は,第1次世界大戦中軍事協力を通して本国に対する地位を向上させ,両者の関係は植民地的従属関係から対等な立場で結合する連邦体制へと発展しつつあった。こうした変容を反映し,帝国会議は1926年に,〈本国と自治領はそれぞれ地位の平等な自治社会であり,王冠に対する共通の忠誠により自由に連合している〉と定義したバルフォア報告を採択し,30年には自治領総督を象徴的存在とする決議を行った。ウェストミンスター憲章は,これらの決定を翌31年イギリス議会が立法化したもので,イギリス連邦の根本を規定した。…

【カナダ】より

…彼の時代にカナダは大恐慌,第2次世界大戦という二つの最悪の場面に直面したが,これまでのカナダ史に特徴的であったイギリス系・フランス系の対立による国論の分裂は免れた。一方1920年代には,コンフェデレーション以来のカナダ国民の願望とキングの対英政策が効を奏し,また国際情勢の変化もあずかって,26年のイギリス帝国会議のバルフォア報告(1931年のウェストミンスター憲章で立法化)で待望の外交上の自主権が獲得された。外交上も主権を得たカナダは早速アメリカ合衆国,フランス,日本に公使館を設立した。…

【自治領】より

…第1次大戦前,植民地にすぎなかった自治領は,戦後,国際連盟に加盟するなどして,国際法上の主体性を徐々に獲得していった。そこで,1926年に帝国会議が採択したバルフォア報告は,イギリスおよび自治領は平等の地位をもつと述べ,31年のウェストミンスター憲章は,〈自治領〉の表現は,カナダ,オーストラリア,ニュージーランドなど6共同体のどれかを意味すると規定した(1条)が,当時のコモンウェルスは,イギリスとこれら6自治領によって構成されていた。いずれも元首を共通にした。…

※「バルフォア報告」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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