ピピンの寄進(読み)ピピンのきしん(英語表記)Pippinsche Schenkung; donation de Pépin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピピンの寄進」の意味・わかりやすい解説

ピピンの寄進
ピピンのきしん
Pippinsche Schenkung; donation de Pépin

フランク王ピピン (小ピピン) が教皇に対して行なった土地寄進で,教皇領の起源をつくった。フランク王国カロリング朝の創始者ピピンは,メロビング朝の宮宰時代にカトリック教会と妥協するため教会領没収をめぐる紛争解決に努力し,それを通じて家臣団を支配することに成功した。この実績を背景に教皇ザカリアスの承認を得てソアソン会議でフランク王となり,のち教皇ステファヌス2世から聖油を受けた。ランゴバルドリウトプランドは東ローマ (ビザンチン) 帝国領のラベンナ周辺の領地を奪い,さらに次王のアイストゥルフはラベンナ総督府を征服 (751) ,ローマに対しても攻撃を開始した。そのため,教皇ステファヌスはピピンに援助を要請し,ピピンはランゴバルドに遠征して,ランゴバルドを破り,ラベンナをビザンチンに返還せず,教皇領として寄進し,ローマ教会との協力関係を一層固めた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピピンの寄進」の解説

ピピンの寄進(ピピンのきしん)

フランク国王ピピン(小)が教皇からメロヴィング朝簒奪を正統化された返礼として,754年,756年の2度にわたりランゴバルドを討ち,ラヴェンナなどを奪って教皇に献じた事件教皇領に本来的基礎を与えたといわれる。

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世界大百科事典(旧版)内のピピンの寄進の言及

【教皇領】より

…しかしこれらの領土は全イタリアの支配を目指すランゴバルド族によって絶えず脅かされていたし,ラベンナ総督領も751年には彼らに占領された。この年教皇はピピン3世のクーデタを正当化してフランク王権に接近し,ピピンはパトリキウス・ロマノルムの称号を,ローマはいわゆる〈ピピンの寄進〉をえて領土を保全する。教皇領の確実な基礎はこのとき築かれた(756)。…

【ピピン[3世]】より

…その中で最も著しいのは,教会教区を再編成し,それらを地方行政に組み込む作業であり,これは,カロリング朝の基本政策となった。彼は2度にわたり,ランゴバルド遠征を行い(754,756),その結果手に入れたラベンナとペンタポールを教皇ステファヌス2世に献じた(〈ピピンの寄進〉)。これが教皇領の起源である。…

※「ピピンの寄進」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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