ピピン(英語表記)Pippin

デジタル大辞泉 「ピピン」の意味・読み・例文・類語

ピピン(Pippin)

(~der Mittlere, von Heristal)[?~714]ピピン2世フランク王国アウストラシア分邦の宮宰。カロリング家の祖。ネウストリア分邦の支配権を勝ち取り、次いでブルグントの宮宰も兼ね、全王国の実権を掌握。異教徒のキリスト教化に貢献。中ピピン。
(~der Jüngere)[714~768]ピピン3世。フランク国王。在位751~768。カール=マルテルの子。カール大帝の父。短身王と称された。751年にローマ教皇の承認を得、王位に就いてカロリング朝を開いた。ラベンナ地方を教皇に献じ、教皇領の発端をつくる。小ピピン

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ピピン」の意味・読み・例文・類語

ピピン

  1. ( Pippin ) フランク王国カロリング王朝の初代国王(在位七五一‐七六八)。全王国の実権を掌握した後、教皇に王位の正統性を承認された代償としてラベンナ太守領を献じた。カール大帝の父。(七一四‐七六八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ピピン」の意味・わかりやすい解説

ピピン[3世]【ピピン】

フランク国王(在位751年―768年)。カロリング朝の始祖。小ピピンと称される。父カール・マルテルを継いで宮宰となり,メロビング朝の国王ヒルデリヒ3世Childerlich IIIを廃して即位。ランゴバルド族を討ってラベンナ地方を奪い,ローマ教皇に即位を承認させた代償として献じた(〈ピピンの寄進〉)。これが教皇領の起源。
→関連項目カール[大帝]宮宰フランク王国ラチオ[州]ランゴバルド

ピピン[2世]【ピピン】

フランク王国の宮宰。ピピン1世の孫。初めフランク王国の分王国アウストラシアの宮宰。687年分王国ネウストリアの宮宰エブロインが暗殺されて以後フランク王国全体の宮宰となった。中ピピンPippin der Mittelereと称される。カール・マルテルはその庶子。
→関連項目宮宰

ピピン[1世]【ピピン】

フランク王国の分王国アウストラシアの宮宰大ピピンとも。その子ピピン2世以後フランクの宮宰職を世襲した。→カロリング朝

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピピン」の意味・わかりやすい解説

ピピン(小)
ピピン[しょう]
Pippin III, der Jüngere; Pépin III, le Bref

[生]714/715
[没]768.9.24. サンドニ
フランク王国カロリング朝初代の王 (在位 751~768) 。ピピン3世,短躯王,ペパンとも呼ばれる。宮宰のカルル・マルテルの子で,741年に兄カルロマンとともに宮宰の地位を分け,743年に空位であった王位にヒルデリヒ3世をつけた。兄の修道院入りにより,フランク王国の実質的支配者となり,教皇の黙認を得て国王ヒルデリヒ3世を廃し,751年 10月から 752年1月のソアソン会議で推されてみずから王位につき,カロリング朝を開いた。その後教皇のために北イタリアのランゴバルド王アイストゥルフを討ち,ラベンナ地区を教皇に献じ,教皇領の発端をつくった (→ピピンの寄進 ) 。長子カルル1世 (大帝)がピピンの位を継いだ。

ピピン(中)
ピピン[ちゅう]
Pippin der Mittlere; Pépin le Jeune

[生]635頃
[没]714.12.16. リエージュ近郊ジュピル
フランク王国宮宰。ピピン2世,ペパンとも呼ばれる。大ピピンの孫で,662年叔父グルモアルドの野望による一家虐殺から逃れ,679年アウストラシア分邦の宮宰の地位を取り戻した。ネウストリアの宮宰ベルカリウスを 687年のテルトリの戦いで破り,ネウストリア王テウデリヒ3世を全フランク人の王として認めるとともに,自身はネウストリア,ブルグンドの宮宰も兼ねてフランク王国の実権を握った。

ピピン(大)
ピピン[だい]
Pippin der Älter; Pépinl'Ancien

[生]?
[没]640
フランク王国,メロビング朝のアウストラシア分邦の宮宰ピピン1世,ペパンとも呼ばれる。娘ベッガをメッツの司教の子アンセギゼルと結婚させ,その子孫がカロリング朝を築いたために,同朝の始祖といわれた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピピン」の解説

ピピン(小)(ピピン(しょう))
Pippin

714~768(在位751~768)

フランク王国カロリング朝初代の王,短躯(たんく)王と呼ばれる。カール大帝の父。父カール・マルテル死後,兄カルロマンとともに宮宰(きゅうさい)として王国を支配した。兄の引退後は,全王国の実権を掌握(747年),751年メロヴィング朝最後の国王ヒルデリク3世を廃し,教皇ザカリアスに王としての正統性を承認させた。その代償として教皇を脅かすランゴバルドを討ち,ラヴェンナなどを教皇に献じた(754年と756年,ピピンの寄進)。


ピピン(大,中)(ピピン(だい,ちゅう))
Pippin[ドイツ],Pépin[フランス],Pepin[英]

大ピピン(?~639)はフランク国王クロタール2世治下のアウストラシアの宮宰(きゅうさい),カロリング王家の先祖。同地方では彼のときより宮宰職の世襲化が始まった。その孫,中ピピン(?~714)は同じアウストラシアの宮宰(679年頃)。ネウストリアの宮宰エブロインと戦って,攻防の末勝利を収め(687年,テストリの戦い),全王国の統一的宮宰となった。その庶子がカール・マルテルである。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピピン」の意味・わかりやすい解説

ピピン(小)
ぴぴん
Pippin der Jungere
(714―768)

カロリング朝初代のフランク国王(在位751~768)。短躯(たんく)王ともよばれた。父カール・マルテルの死(741)後、兄カールマンとともに、それぞれノイストリア、アウストラシアの宮宰として、フランク王国を共同で統治した。743年、メロビング家のヒルデリヒ3世を名目的国王に迎えたが、実権は兄弟で握り、747年、兄の引退後は、全王国の宮宰として実力を振るった。国内有力者の支持と、教皇ザカリウスの承認のもとに、751年ヒルデリヒ3世を廃して王位につき、カロリング朝を開いた。司教ボニファティウスのライン川以東地域へのキリスト教布教を援助し、たびたび教会会議を招集して、教会改革を進めた。二度(754、756)にわたり、イタリアに遠征して、ランゴバルド王アイストゥルフを破り、ラベンナ大守領を奪って、これを教皇に寄進した(教皇領の起源)。また、バイエルン大公タシロ3世を討って、国王への臣従を誓わせ、ナルボンヌイスラム教徒から奪回した。

[平城照介]


ピピン(中)
ぴぴん
Pippin der Mittlere
(?―714)

フランク王国アウストラシアの宮宰。カロリング家の祖。アウストラシアの豪族大ピピンの娘ベッガとメッツの司教アルヌルフの息子アンセギゼルとの間に生まれた。ノイストリアの宮宰エブロインと争い、テルトリーの戦い(687)でこれを破ったのち、ノイストリア、ブルグントの支配権をも掌握して、王国全体の実権を握った。アラマン人を討って、フランクの宗主権を認めさせ、フリーセン人を征服して、西フリーセンをフランク王国に併合した。またアングロ・サクソン・ミッションに援助を与え、教会改革を意図して、全国の教会会議を招集した。

[平城照介]


ピピン(大)
ぴぴん
Pippin der Ältere
(?―639)

フランク王国アウストラシアの宮宰。アルデンヌ北方に所領をもった豪族の家門の出。クロタール1世死(561)後のフランク王国の内乱に際し、メッツの司教アルヌルフと結び、ブルンヒルトに対抗して、フレデグンデの息子クロタール2世を擁立し、全国統一を実現させた。娘ベッガをアルヌルフの息子アンセギゼルと結婚させ、2人の間に生まれたピピン(中)がのちにカロリング家の祖となった。

[平城照介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「ピピン」の解説

ピピン(3世)
Pippin(der Kleine)

714〜768
フランク王国カロリング朝初代の王(在位751〜768)。小ピピン
カール=マルテルの子,カール1世(大帝)の父。メロヴィング朝の宮宰 (きゆうさい) として実権をふるい,751年カロリング朝を創始。754年教皇ステファヌス2世がロンバルド族に圧迫されて援助を求めると,イタリアに出兵してこれを討伐,征服した。これによって得られた中部イタリア一帯(ラヴェンナおよびアドリア海沿岸)をローマ教皇に寄進(「ピピンの寄進」)して教皇領の起源をつくった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ピピン」の解説

ピピン

1972年初演のミュージカル。原題《Pippin》。作詞・作曲:スティーブン・シュワルツ、脚本:ロジャー・ハーソン。日本では1976年に東宝により初演。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android