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フナイン・ブン・イスハーク Ḥunayn b.Isḥāq

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世界大百科事典 第2版の解説

フナイン・ブン・イスハーク【Ḥunayn b.Isḥāq】

808‐873
ネストリウス派の医者,翻訳者。ラテン名ヨハンニティウスJohannitius。ユーフラテス河畔のヒーラ薬剤師の息子として生まれ,バグダードイブン・マーサワイフに医学を学んだ後,アレクサンドリアで発展した文献批判学の方法を身につけ,次いでバスラアラビア言語学を修めた。バグダードに帰ってジブラーイール・ブン・ブフティシューのためにガレノスの翻訳に従事し大いに認められ,アッバース朝カリフ,マームーンに紹介された。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のフナイン・ブン・イスハークの言及

【アラビア医学】より

…そのころシリアの学者たちの中にギリシア語に精通したものが多かったので,ギリシア語からまずシリア語に訳し,つぎにアラビア語に訳した文献も多かった。この事業は少なくも第10代ムタワッキル(在位847‐861)の時代までは盛んに行われたが,最も目覚ましい業績をあげたのは,イラクのヒーラ生れのフナイン・ブン・イスハーク(808‐873)とその一派であった。一方,インドの医書もサンスクリット語から直接に,または中世ペルシア語(パフラビー語)訳からアラビア語に訳出されたものがあった。…

【アラビア科学】より

…ペルシアやシリアやインドから優れた学者がこのアッバース朝の首都に雲集し,多くの第一級の科学文献がギリシア語やシリア語からアラビア訳され,アラビア科学は華やかに咲きいでた。ギリシア科学の精華の大部分を翻訳したフナイン・ブン・イスハークサービト・ブン・クッラをはじめ,アラビア錬金術の祖であるジャービル・ブン・ハイヤーンやアラビア代数学の出発点をつくったフワーリズミー,正確な観測によりルネサンスにいたるまで西欧天文学にも大きな影響をもったバッターニー,さらにはイスラム圏のみならず,中世全体を通じて最大の臨床医家だったラージーなどが,この期に属する代表的な学者である。 第2の〈全イスラム期〉では,かつてアッバース家によって滅ぼされたウマイヤ朝の王族がスペインに逃れて建てた後ウマイヤ朝においてしだいに文化が興隆し,その勢いは東イスラム圏と覇を競うほどになり,さらにエジプトではファーティマ朝が栄え,ここでも大いに科学文化が振興された。…

【医学】より

…アラビア文化圏の各地では,このような外国語の書物の翻訳がおこなわれた。医学書の翻訳者としてとくに知られているのは,フナイン・ブン・イスハークサービト・ブン・クッラらである。フナイン・ブン・イスハークは,各地を旅行して,ギリシア,ローマの医学書の写本を多数比較考証して,正確な訳出に努めた。…

【ネストリウス派】より

… イスラムの支配下にあってもネストリウス派は繁栄を続け,特にギリシア語文献の翻訳者,医師,技術者としてイスラム文化の形成に貢献した。なかでもアッバース朝下に活躍したフナイン・ブン・イスハークは有名である。ネストリウス派教会の首長はカトリコスと呼ばれるが,5世紀末から東方総主教と称した。…

※「フナイン・ブン・イスハーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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