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ホルムズ Hormuz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホルムズ
Hormuz

イラン,ペルシア湾口の海港。旧ホルムズは北東岸の入江の奥,現在のミナーブ付近にあった。前 325年ネアルコスの率いるアレクサンドロス3世 (大王) の艦隊が寄港したハルモゼイア Harmozeiaがそれ。 10世紀以降,東部イランの代表的な海港として繁栄し,マルコ・ポーロも2度 (1272,93) 訪れている。 14世紀初め,略奪部族の侵入を避けて町は 60km西方の現在のホルムズ島に移され,インドとの交易で引続き栄え,この頃イブン・バットゥータが訪れた。 1514年ポルトガル人によって占拠され,1622年サファビー朝のアッバース1世が奪還したが,以後対岸のバンダレアッバース港の発展に伴い衰退した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典内のホルムズの言及

【インド洋】より

…10世紀にアッバース朝が衰退し,エジプトのファーティマ朝が発展して以来15世紀まで,ペルシア湾ルートに代わって紅海ルートが東西の幹線ルートになったといわれる。しかし,ペルシア湾ルートがすたれたわけではなく,湾口に近いキーシュKīsh(11~14世紀前),ホルムズHurmuz(14世紀初頭以後)の二大貿易港が,モンゴル帝国,オスマン・トルコ帝国の内陸貿易ルートとの接点として,また11世紀以来戦闘形態の変化により急増したペルシア馬,アラブ馬のインドへの輸出を独占して繁栄した。この時期に東アフリカ沿岸のアラブ,ペルシア人の居留地が発展し,インドや東南アジアのイスラム化が進展するなど,インド洋周辺でのイスラム世界の拡大と多様化がさらに進んだ。…

【大航海時代】より

…マヌエル王はまたインドにおけるポルトガル人の征服,貿易活動を統轄するために〈インド領〉を設置し,その初代副王としてフランシスコ・デ・アルメイダをインドに派遣した。アルメイダはマヌエル王の方針を忠実に実行したが,彼の後を継いだアフォンソ・デ・アルブケルケはむしろイスラム商人によるインド洋の国際貿易支配を打破しようとして,1510年にはゴアを占領し,さらにアデン,ホルムズを攻撃し,ホルムズを朝貢国とするとともに,11年にはマレー半島のマラッカ王国を占領し,翌年船隊をモルッカ諸島に派遣した。また13年にはマラッカから中国に初めて船隊が派遣された。…

【ペルシア湾】より

…現在,湾岸にはイランのほかにアラブ系のイラク,クウェート,バーレーン,カタル,アラブ首長国連邦の諸国がある。現代においてはホルムズ海峡を境に東側をオマーン湾,西側をペルシア湾と呼んで区別しているが,10世紀のアラブの地理学者マスウーディーによると,当時のペルシア湾はオマーン湾を含む海域と考えられていた。同時期の地理学者イスタフリー,イブン・ハウカルの場合,その範囲はさらにひろがって,アラビア海,インド洋までがその海域にいれられている。…

※「ホルムズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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