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モロッコ生まれのイスラムの大旅行家。詳細な旅行記を残し、マルコ・ポーロと並び称されている。1325年6月、メッカ巡礼を志して単身故郷を出てから、北アフリカ、アラビア、東アフリカ、中東各地、バルカン、中央アジア、インド、東南アジア、中国を遊歴し、50年故郷タンジャ(タンジェル)に帰った。その翌年スペインのグラナダに行き、52年から翌年にかけてサハラ砂漠を越え、ニジェール川中流の黒人王国を訪れた。この長年月にわたる旅の間の見聞を、フェズに都したマリーン朝のアブー・イナーン王の命によって口述し、学者イブン・ジュザイイが文学的に修飾したのが『リフラ』または『都会の珍奇さと旅路の異聞に興味をもつ人々への贈物』(邦訳は『三大陸周遊記』)となった。行程約10万キロメートル、メッカ大祭に参列すること7回、14世紀のイスラム世界の政治、経済、社会、文化の各方面の事情を伝える不朽の古典として、アラビア語文学史上に光彩を放っている。長途の旅でたびたび危難にあい、記録類を失ったりしたため、記憶の誤りや、イブン・ジュザイイによって飾られ、ゆがめられた箇所などもある。しかし、インドのデリー滞在は34年から43年までに及んでいるし、オスマン朝勃興(ぼっこう)時代の小アジア、ニジェール川流域の黒人王国などについての報告など、ユニークな価値をもつ部分が至る所にちりばめられている。
[前嶋信次]
『前嶋信次訳『三大陸周遊記』(1977・河出書房新社)』
ベルベル系のアラブ人旅行家。イブン・バトゥータIbn Baṭūṭaともいう。1377年没ともいわれる。モロッコのタンジールに生まれ,1325年,22歳の時メッカ巡礼を志して故郷を出発,陸路エジプトを経てシリアからメッカに巡礼した後,イラク,アラビア半島,小アジアを旅して33年から8年余りデリーに滞在した。次いでスマトラを経て元朝治下の泉州,大都(北京)に至り,再びインド,シリア,エジプトを経由して49年フェスに帰還した。その後グラナダを訪問したのに続いて,52-53年にはサハラ砂漠を横断してニジェール川上流域を踏査した。マリーン朝君主の求めに応じてイブン・ジュザイによる口述筆記が行われ,前後30年に及ぶ旅行記は《都市の不思議と旅の驚異を見る者への贈物Tuḥuhfa al-nuẓẓār》(通称Riḥla)として57年に完成した。イブン・ジュバイルからの借用や若干の記憶違いもあるが,14世紀前半のイスラム世界についておおむね正確で,しかも具体的な情報を伝えている。
執筆者:佐藤 次高
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1304~68/69/77
アラブの旅行家。モロッコのタンジールの生まれ。1325年,メッカ巡礼の途に上り,西アジア,アフリカ東部,中央アジアなどを遍歴してインドに入り,約10年間デリーに滞在。さらに海路を中国に旅し,帰国(49年)ののち,スペインやサハラを越えてニジェール川流域をも訪れた。その旅行記『三大陸周遊記』はアラビア語旅行文学の傑作であり,マルコ・ポーロの『東方見聞録』と並び称される。
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…その代表的都市はニジェール河畔のトンブクトゥである。14世紀のアラブの地理学者イブン・バットゥータは北アフリカの沿岸全域,ナイル川をアスワンまで,東海岸をキルワまで,サハラ以南ではニジェール川中流部を踏査し記録した。それは黒人世界の実情を初めて総合的に紹介するものであり,そこに描かれたトンブクトゥはとくに後世の探検家を引きつけるものとなった。…
…おそらく8世紀のガーナ王国の時代からマリ帝国,ソンガイ帝国の時代まで,600年余りにわたって,これら西サハラ南縁に栄えた黒人帝国に岩塩を供給し,塩と黒人の国の金との交易によってそれらの帝国に繁栄をもたらした。1352年にこの塩の町を訪れたアラブの旅行家イブン・バットゥータは10日ほど滞在して見聞記を残している。当時タガザには2km四方くらいの岩塩の層があり,1000~2000人の住民がいたらしい。…
…日本では〈手〉に代価の意をもたせて〈塩手米〉のように商品交換を表す語とした例が鎌倉時代以後にあるが,さらにさかのぼれば《万葉集》では〈テ〉に〈価〉や〈直〉をあてており,〈手〉と交換,交易との関連はかなり古くから意識されていたと推定される。 14世紀のアラブ人冒険旅行家イブン・バットゥータは,スーダンの黒人が女性の手と乳房は人体の中で最も美味だと語った話を伝えている(《都市の不思議と旅の驚異を見る者への贈物》)。中国の四川料理に〈紅焼熊掌〉(熊の手のしょうゆ煮)が,雲南省の料理に〈大燉熊掌〉(熊の手の火腿(ハム)入り蒸しスープ)があり,とくに冬眠に入る前のヒグマの手は脂がのって柔らかなので珍重される。…
…【端 信行】
[探検史]
この大河の存在は古代から流域外住民にも知られていたが,水源,経路,出口についての知識は流域住民でさえも知らなかった。14世紀のアラブの大旅行家イブン・バットゥータはニジェール川についての最初の実見記を残した。しかし彼はこの川をナイル川と同一視し,またその視察は大交易都市トンブクトゥを中心とする中流地帯に限られていた。…
…旅行記はまずイスラム商人にとって欠かせない知識の源泉であるとともに,後代の人々にとってはイスラム世界の巡礼,留学,旅行の際のガイドブックとして実際に役にたった。 代表的なものにモロッコ生れのイブン・バットゥータの旅行記やアンダルス生れのイブン・ジュバイルの旅行記がある。前者はメッカ巡礼を発心して東方世界に旅立ち28年12万kmの諸国漫遊ののちに故郷に戻った。…
…その後14世紀を最盛期とするマリ帝国の時代に,北アフリカとマリを結ぶ交易中継地の一つとして重要性を増した。14世紀のイタリアの地誌家の記述にはワラタの名があり,アラブの大旅行者イブン・バットゥータは1352年にこの町(彼はイワーラータンと呼んでいる)を訪れて50日滞在し,その後24日歩いて当時のマリ帝国の都に赴いている。イブン・バットゥータはこの町を,サハラを南下してきて初めての黒人の国(スーダン)の町としているが,住民の大部分はムーア(モール)人の一部族と思われるマスーファ族Massufaの商人で,北アフリカからの商品がここでおろされ取引されていると述べている。…
※「イブンバットゥータ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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