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ミラディノフ Konstantin Miladinov

世界大百科事典 第2版の解説

ミラディノフ【Konstantin Miladinov】

1830‐62
ユーゴスラビアの詩人。マケドニアの生れ。アテネで哲学を学んだ後,兄ディミタルDimitar M.(1810‐62)とともに民族運動を展開しながら,民謡の収集に努める。モスクワ留学中(1856‐60)にオフリト湖畔の故郷をしのび〈南への憧れ〉を詠んだ。投獄中の兄を救うべくイスタンブールへ赴き,自身も捕らえられて虐殺された。作品数こそ少ないが,近代マケドニア詩の父として慕われている。【田中 一生】

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世界大百科事典内のミラディノフの言及

【ユーゴスラビア】より

…バルカン半島西部に1918年から1990年代初めまで存在した国家。精確には,1918年からの〈セルビア人クロアチア人スロベニア人王国〉,1929年からの〈ユーゴスラビア王国〉,および1945年からの〈ユーゴスラビア連邦人民共和国〉と1963年からの〈ユーゴスラビア社会主義連邦共和国〉に分かれるが,一括して〈ユーゴスラビア〉と称され,日本では〈ユーゴ〉とも略称された。〈ユーゴスラビア〉とは〈南スラブ人の国〉を意味し,その名のとおり南スラブ諸族を主体とした多民族国家だった。…

【マケドニア】より

…19世紀に入るとイスラム教徒の地方地主層とギリシア人商人が台頭する一方,スラブ人農民は半ば農奴の地位にあった。ギリシアに続いてセルビア,ブルガリアなどで民族的覚醒が起こってくると,マケドニアもその影響を受け,1860年代にはK.ミラディノフが民謡の収集を行った。また,スラブ語教科書が編集されるなど,教会や学校におけるギリシア語使用への反対を通じて〈スラブ人〉としての意識が目覚めつつあった。…

【ユーゴスラビア】より

…戦前のベオグラードでは,詩人ツルニャンスキダビチョらが表現主義から超現実主義風の作品を発表する一方,ヌシッチは風刺で現実を笑殺した。
[第2次大戦後の文学]
第2次大戦後の社会主義期には,マケドニア語が詩人コネスキらの努力で文語として確立し,K.ミラディノフやラツィンKočo Racin(1908-43)の伝統を継いで,ヤネフスキSlavko Janevski(1920- ),ウロシェビッチVlada Urošević(1934- )らが輩出し,詩壇に新風を吹き込んだ。 ユーゴスラビアは1948年にコミンフォルムと衝突したため,他の東欧諸国に先がけて社会主義リアリズムの呪縛から脱することができた。…

※「ミラディノフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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