ヤフヤー・ハミード・アッディーン(英語表記)Yaḥyā Ḥamīd al‐Dīn

世界大百科事典 第2版の解説

ヤフヤー・ハミード・アッディーン【Yaḥyā Ḥamīd al‐Dīn】

1867‐1948
イエメンの宗教・政治指導者。ザイド派の名門に生まれ,1904年同派のイマームとなる。以後オスマン帝国支配に対する反乱を指導,11年大幅な自治権を得,18年独立を達成した。アデンのイギリス勢力としばしば軍事的衝突をきたしたが,他方34年にはサウジアラビアと戦って敗北を喫し,48年暗殺された。【板垣 雄三】

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世界大百科事典内のヤフヤー・ハミード・アッディーンの言及

【イエメン】より

…海岸地方ではイスラムのスンナ派,高原地帯ではシーア派の分派ザイド派を信奉する。
[政治]
 1911年,当時高原地帯の支配権を掌握していたザイド派イマーム,ヤフヤー・ハミード・アッディーンはオスマン帝国の宗主権のもとに事実上の独立を得,これが北イエメンの基礎となった。34年イエメンに進撃していたサウジアラビア(イブン・サウード王)と和平協定を結び,北の国境線を決定し正式に独立王国となった。…

※「ヤフヤー・ハミード・アッディーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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