アデン(読み)あでん(その他表記)Aden

翻訳|Aden

デジタル大辞泉 「アデン」の意味・読み・例文・類語

アデン(Aden)

南イエメン首都アラビア半島南西部、アデン湾に面する港湾都市。古くから経済や通商の要地。→イエメン

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精選版 日本国語大辞典 「アデン」の意味・読み・例文・類語

アデン

  1. ( Aden ) アラビア半島南西部、アデン湾に臨む都市。古くからの通商上の要地。一九三七年、イギリス直轄植民地。六七年、近隣地域と合わせ南イエメン人民共和国が成立。七〇年、イエメン民主人民共和国に改称とともに、その首都となった。九〇年の南北統一後のイエメン共和国の首都はサヌア

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アデン」の意味・わかりやすい解説

アデン
あでん
Aden

アラビア半島南部、イエメン共和国南西部の都市。人口40万0783(1993)、51万0400(2002推計)。紅海入口のバベル・マンデブ海峡から東へ160キロメートルのアデン湾北岸に位置する。火山のカルデラが侵食されて生じた港湾は自然の良港である。気候は高温乾燥で、年平均気温29℃、降雨は冬にあり、年20ミリメートルと少ない。夏の南西季節風は高温と80%近い湿度をもたらす。アデンは、町と港のある東側半島と、対岸のリトル・アデンとよばれ大精油所のある西側半島よりなる。アデンの町は3地区に分かれ、クレイター地区は火口内に建設されたアラビア風の旧市街、クワヒ地区は近代的な官庁、ビジネスセンター、そして近くのマアラー地区には埠頭(ふとう)、港湾施設などがある。アデンの経済は、港の物資集散、中継、給油基地と、リトル・アデンの精油所に依存する。製塩、皮革品、コーヒー、香料、穀物、魚類、石油製品などを輸出し、外国から原油、食料品、機械などを輸入する。産業はせっけん、たばこ、皮革品、繊維、アルミニウムなど、小規模のものしかない。かつてアデン港はスエズ―インド間最大の港として栄えたが、スエズ運河閉鎖(1967)で大打撃を受け、その後1975年の再開以降も以前の繁栄を取り戻せず、また生産能力年間800万トンの精油所の操業率も40%近くに落ちた。アラブで唯一のマルクス・レーニン主義の国であった南イエメンの首都であったため、アデン港にはソ連の軍事施設が置かれていた。1990年、北イエメンと統合し、イエメン共和国となり、アデンは首都ではなくなった。

[原 隆一]

歴史

古くから南海貿易の中継地として知られ、『エリトラ海案内記』にエウダイモーン・アラビア、プトレマイオスの『地理書』にアラビア・モンポリウムとしてその名がみえる。古くから交易と戦略上の要地として、諸勢力によりその帰属が争われた。575年にササン朝の領有に帰し、628年にはイスラム支配下に入った。十字軍戦争のときはサラディンが遠征軍を送り、確保した。1513年にポルトガルアルブケルケにより攻略されたが、1538年にオスマン・トルコのスレイマン大帝が奪回し、約100年間トルコの支配を受けた。1839年にイギリス東インド会社が武力によって奪取して以後、1869年スエズ運河開通により中継地、軍港としての比重が増し、イギリスは周辺の土侯国を漸次保護下に入れた。第一次世界大戦後インド総督の管轄下に入り、1937年に直轄植民地となり、アデン総督の統治下に置かれた。第二次世界大戦後は、1963年南アラビア連邦に加わり、その首都となり、1967年に独立したイエメン民主人民共和国(南イエメン)に所属した。1990年南・北イエメン統一で、首都はサヌアとなった。統一後も南北対立で内戦が発生、1994年4月、南イエメンが独立を宣言、その首都となった。しかし、同年7月北側の攻撃を受けアデンは陥落、北側の勝利で内戦は終結した。

[佐藤圭四郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「アデン」の意味・わかりやすい解説

アデン
Aden

アラビア半島南端,アデン湾に面するイエメン共和国の港市。1990年の南北イエメン統合まではイエメン人民民主共和国(南イエメン)の首都。アラビア語でアダン`Adan。大都市域人口約58万(2004)。市部はアデン半島と対岸のリトル・アデンまでの三日月形の地域である。中心はアデン半島で標高551mの火成岩の岩山(シャムシャーン山)を取り巻くようにして街並みが広がっている。住民は90%がアラブであるが,インド人,パキスタン人,ソマリア人等もいる。アデンのアラブは一般に小柄で色は浅黒く精悍な顔つきをしており,エチオピア人との混血が感じられる。アデン市一帯は不毛の火山岩地帯で,黒い切り立ったけわしい岩山が街並みの背後にそびえている。その岩山の稜線に沿って古い時代の城壁やトルコ軍の砦の遺構が見える。インド洋から湿った熱風が吹きつけ,年間を通じて気温は高く,1月の平均25.5℃,7月は32.2℃,年間降雨量は約40mmである。水源は地下水に頼っており,塩水である。

 アデンはギリシア・ローマ時代から紅海とインド洋を結ぶ中継地として栄えた良港で,631・632年には,アリー(後の4代カリフ)によってイスラムの支配下に入り,アイユーブ朝からラスール朝時代に全盛期をむかえた。16世紀以降は,インド洋貿易の支配をねらう西欧諸国をふくめ,経済的・軍事的重要拠点として時の強国の垂涎の的となった。1513年にはポルトガルの攻撃をうけ,38年オスマン帝国,1635年ザイド派イマーム,1839年イギリス東インド会社と帰属は数回変わり,1937年イギリス直轄植民地となる。1869年のスエズ運河開通によりヨーロッパとアジアを結ぶ中継基地としての重要性はさらに高まり,自由貿易港,給油港として繁栄したが,1967年南イエメンの独立とともにイギリスからの財政援助が止まり,同年スエズ運河が閉鎖されアデンの経済事情は急速に悪化した。政府の国有化政策によって民間投資は沈滞し,77年リトル・アデンのブリティッシュ・ペトロリアムも国有化され,かつてにぎわった目抜通りも3分の2は店を閉めている。紀元1世紀ころヒムヤル王国によって建設されたといわれ,大小18個のダムが水路で結ばれたアデン・タンクの遺跡がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アデン」の意味・わかりやすい解説

アデン
Aden

イエメン南東部の港湾都市。紅海の入口に近く,アデン湾北岸に,アデン港を囲むように突き出た2つの半島のうちの東側に位置する。現在のアデンは,古い商業地区,新しい商業地区,先住民の港の3つの部分から成る。気候は4月から 10月まで高温多湿,北東のモンスーンの吹く 11月から3月まで気温が下がる。降雨量は少い。古くから貿易の中心として栄え,聖書にもその名称が出る。中世紀にも貿易の中心地であったが,ナポレオンのエジプト遠征以来,イギリスの戦略的関心の的となり,1808年条約でイギリスが確保,給炭基地として栄え,1937年イギリス直轄植民地となった。 53年西側の小アデンに製油所が建設された。 62年部分的に自治を獲得したが,63年南アラビア連邦に編入された。 67年イエメン民主人民共和国 (南イエメン) 独立とともにその一部となり,68年その首都と定められた。 90年南北イエメン統合とともに同国の商業中心地となる。アデンの主要な経済活動は,船舶の給油および物資集散で,ほかに造船,石鹸,たばこ,塩の製造などが行われる。 70年まで自由港であったが,国内開発のため課税されるようになった。国際空港が近くにある。面積 194km2。人口 31万 8000 (1984推計) 。

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百科事典マイペディア 「アデン」の意味・わかりやすい解説

アデン

イエメン南部,紅海の入口にある港湾都市。古代ギリシア時代から貿易の中心地として知られ,7世紀にアリーが征服してイスラム支配に入り,インド洋交易の要衝として繁栄した。スエズ運河開通ののち急速に発達。1839年東インド会社の占領以来,1967年まで英直轄植民地として重要な軍事基地でもあった。アデン精油所がある。1967年―1990年にはイエメン人民民主共和国(南イエメン)の首都だった。58万8938人(2004)。
→関連項目アデン湾イエメン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アデン」の解説

アデン
‘Adan

アラビア半島南部の港湾都市。19世紀にイギリスが植民地化したのち,1967年にイエメン人民共和国(南イエメン)の首都となるが,90年南北イエメン統一でイエメン共和国の首都サヌアに次ぐ副首都となる。

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