改訂新版 世界大百科事典 「ザイド派」の意味・わかりやすい解説
ザイド派 (ザイドは)
Zaid
イスラムのシーア派の一派で,アリーの曾孫ザイドZayd b.`Alī(?-740)の名に由来する。ザイドは十二イマーム派第4代イマームの子として生まれ,穏健な兄,第5代イマーム,ムハンマド・アルバーキルとは異なって,積極的な政治活動によってウマイヤ朝から政権をシーア派に奪取しようと企て,メディナからシーア派の本拠クーファに移って同志を募り,740年に同地で反乱を起こしたが,数日後に鎮圧され戦死した。この派はイマーム論で特徴的な説を主張し,その教義はスンナ派に近い。ザイドはアリーが預言者ムハンマドの指名によるのではなく,最も優れた者であるから預言者の後継者であると主張し,アリー以前の3人のカリフをシーア派主流が奪者として非難するのに対して,彼は〈劣ったイマーム〉としながらも3人を合法的存在として認めた。ザイドの反乱の失敗後,この派はイスラム世界の辺境に存続し,カスピ海の南岸にザイド朝(アリー朝,864-928),イエメンにラッシーRassī朝(9世紀半ば-1281ころ)を築き,1962年まで続いたイエメンのイマームもこの派に属し,北イエメンでは人口の半数以上がこの派の信者である。
執筆者:黒柳 恒男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報