ユーラシア主義(読み)ユーラシアしゅぎ(その他表記)Evraziistvo

改訂新版 世界大百科事典 「ユーラシア主義」の意味・わかりやすい解説

ユーラシア主義 (ユーラシアしゅぎ)
Evraziistvo

1920~30年代のロシア人亡命者の間にみられた一思潮。1920年N.S.トルベツコイ公がブルガリアソフィアで《ヨーロッパと人類》を発表し,翌年,G.フロロフスキー,P.サビツキー,P.スブチンスキーが加わって,同地で論集東方への脱出》を出版したときに成立した。彼らはロシア国民をヨーロッパ人ともアジア人とも異なる,ユーラシア人と規定し,この立場からとくにヨーロッパ文化を批判し,ロシア独自の歴史的発展の道を提唱した。ロシア革命後出現した数多くの亡命者グループの主張とのおもな相違は,彼らがロシア革命そのものの必然性を承認したうえで,ヨーロッパ的原理であるボリシェビズムに代わる新たな原理としてユーラシア主義を唱えた点にあった。彼らはその立場をヨーロッパ各地で活発な啓蒙・出版活動を行うことによって広く宣伝したが,のちに政治的路線をめぐって脱退者が続出し,ソビエト政権の基盤が確立するとともに運動体としては急速に衰退した。他にヤコブソン,L.P.カルサービン,A.V.カルタシェフ,D.S.ミールスキー,G.V.ベルナツキーなど言語学者,歴史家たちの参加をみた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のユーラシア主義の言及

【ロシア連邦】より

ベラルーシとの連合や4国同盟(ロシア,カザフスタンキルギスタン,ベラルーシで形成)がその現れであるが,その帰趨は未確定である。 より広い対外政策では,大西洋主義(親欧米路線)かユーラシア主義(欧米と対抗し,旧ソ連諸国やアジア諸国との連携を目指す)かが論争点となった。その一つの背景として,地政的にいえば,ソ連西部の諸共和国(バルト3国,ベラルーシ,モルドバ,ウクライナ)が独立した結果,ロシアと西欧との距離が遠くなり,国の地政的重点が東に移動したという事実がある。…

※「ユーラシア主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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