トルベツコイ(英語表記)Nicolai Sergeevich Trubetskoi

デジタル大辞泉 「トルベツコイ」の意味・読み・例文・類語

トルベツコイ(Nikolay Sergeevich Trubetskoy)

[1890~1938]ロシア生まれの言語学者。ヨーロッパ構造言語学の発展貢献、特に新しい音韻論方法論を確立した。

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精選版 日本国語大辞典 「トルベツコイ」の意味・読み・例文・類語

トルベツコイ

  1. ( Nikolaj Sjergjejevič Trubjeckoj ニコライ=セルゲーエビチ━ ) ロシアの言語学者。ロシア革命のため亡命。オーストリアでスラブ語学を教える。プラハ言語サークルの中心的指導者として活躍。ヨーロッパ構造主義言語学の基礎をつくり、特に音韻論の分野では二〇世紀後半の言語学の研究に大きな影響を与えた。主著「音韻論の原理」。(一八九〇‐一九三八

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改訂新版 世界大百科事典 「トルベツコイ」の意味・わかりやすい解説

トルベツコイ
Nicolai Sergeevich Trubetskoi
生没年:1890-1938

言語学者。モスクワ大学哲学教授S.N.トルベツコイを父としてロシア貴族の家に生まれ,早くから民族誌学に関心をもつ。モスクワ大学を卒業してライプチヒに学んだ後,母校で比較言語学を講ずる。革命を逃れてロストフ大学,ソフィア大学に転じ,22年にはウィーン大学教授。プラハ言語学派の中心人物の一人で《音韻記述への手引Anleitung zu Phonologischen Beschreibungen》(1935),《音韻論要理Grundzüge der Phonologie》(1939)によりプラハ言語学派音韻論の方向を定めた。

 1936年に学術誌に発表した論文《音韻対立のための理論の試み》の前後から〈対立〉をとらえる理論を模索し,これが晩年の理論課題となった。そこで彼は音差異を示す項の間の〈共通特性〉に着目するが,この項は“関与特性”のほかに“位置特性”をも含むのである。たとえばlipのlは,nip,tip,chipのn,t,chと対立する音特性(“側音性”)を含み,この特性はpillのllにおいてもそれをpin,pit,pitchのn,t,tchと対立させている(“関与特性”)。しかしlipのlとpillのllは,同じ音特性を共通特性としてもちながら,かつ明るい音色,暗い音色の違いももつが,これはこの言語では対立を作り出さない(“位置特性”)。さて,(1)同じ共通特性をもつ項が位置特性のみで異なる場合,これらの項は直接的にも間接的にも対立しない。それらは同じ音韻単位に含まれる変異音をなすのである。しかし,(2)同じ共通特性をもつ項が,関与特性で異なる場合,たとえそれらが同じ位置で直接対立しなくても(たとえば英語,ドイツ語のh/ŋ),〈間接的〉な音韻対立が成立している(hとŋは共通の同じ仲間(さまざまな子音)に対して,異なった関与特性により対立しているのだから)。

 ところで,p/bのごとき2項が,ある位置(語末)で無声のpしか示さなくなると(ドイツ語,ロシア語),この“無声性”はこの位置では関与特性ではなく位置特性となる。すると上の(1)と同じ理由で,このpはp/bのいずれとも音韻対立をなさず,両者の変異音となる。この現象を彼は〈音韻対立の中和〉と呼んだ。ただし彼は3項以上の項の間の対立の中和には触れなかった。
音韻論
執筆者:


トルベツコイ
Sergei Petrovich Trubetskoi
生没年:1790-1860

ロシアの革命家,デカブリスト公爵家柄に生まれ,近衛連隊士官としてナポレオン戦争に従軍。帰国後デカブリストの結社〈救済同盟〉〈福祉同盟〉〈北方結社〉の設立に参加し,その指導者の一人となる。立憲君主制と農奴解放をめざす穏健な改革を主張。1825年12月14日のデカブリストの蜂起の前夜,蜂起軍の総指揮官に選ばれたが,時期尚早と考え,蜂起予定の元老院広場には姿を現さなかった。裁判により最初死刑の判決を受けたがシベリア苦役に変更になり,39年からはイルクーツクの近くで流刑生活を送った。56年,恩赦によりペテルブルグにもどり,モスクワで没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トルベツコイ」の意味・わかりやすい解説

トルベツコイ
Trubetzkoi, Nikolai Sergeevich

[生]1890.4.25. モスクワ
[没]1938.6.25. ウィーン
ロシアの言語学者。貴族の家に生れて,ロシア革命を逃れ,1922年以降死ぬまでウィーン大学教授の職にあった。スラブ語派,フィン=ウゴル語派,カフカス諸語など多くの言語を対象として比較言語学的研究をし,また一般言語理論にも貢献した。しかし彼が最もよく知られるのは,ソシュールや J.ボードアン・ド・クルトネーの影響を受けて音声の研究に音韻的対立と相関関係の概念を導入し,プラハ学派の有力メンバーとして,R.ヤコブソンらとともに音韻論を創始したことによる。著書で最も重要なのは死後出版された『音韻論の原理』 Grundzüge der Phonologie (1939) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルベツコイ」の意味・わかりやすい解説

トルベッコイ(Sergey Petrovich Trubetskoy)
とるべっこい

トルベツコーイ


トルベッコイ(Sergey Nikolaevich Trubetskoy)
とるべっこい

トルベツコーイ

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世界大百科事典(旧版)内のトルベツコイの言及

【音韻論】より

…そこで〈こえ〉の標識をもつ/b/を有標項marked,もたない/p/を無標項unmarkedと呼ぶ。二つの音素がその弁別的素性を共有していて,ある素性の有無によってのみ区別される場合をN.S.トルベツコイは欠如的対立と名づけている。同じく鼻腔共鳴をもつ有標項の/m/と,もたない無標項の/b/も欠如的対立をなす。…

【スラブ学】より

… 西ヨーロッパのスラブ学は,前述のウィーンを除けば,ドイツとフランスが中心となっており,ドイツでは古代教会スラブ語を研究したレスキーンAugust Leskien(1840‐1916),ディールスPaul Diels(1882‐1963),《ロシア語語源辞典》のファスマーMax Vasmer(1886‐1962),バルト・スラブ関係研究のトラウトマンReinhold Trautmann(1883‐1951),フランスではインド・ヨーロッパ語学者で《共通スラブ語》のメイエ,ロシア文学研究のマゾンAndré Mazon(1881‐1967)などの名があげられる。なお,ウィーンでは,ロシアの言語学者で音韻論の創始者N.S.トルベツコイが1922年よりスラブ文献学の講座を担当した。第2次世界大戦をきっかけにヨーロッパの有力な学者がアメリカに亡命し,スラブ学は新大陸にも拡大した。…

【ユーラシア主義】より

…1920~30年代のロシア人亡命者の間にみられた一思潮。1920年N.S.トルベツコイ公がブルガリアのソフィアで《ヨーロッパと人類》を発表し,翌年,G.フロロフスキー,P.サビツキー,P.スブチンスキーが加わって,同地で論集《東方への脱出》を出版したときに成立した。彼らはロシア国民をヨーロッパ人ともアジア人とも異なる,ユーラシア人と規定し,この立場からとくにヨーロッパ文化を批判し,ロシア独自の歴史的発展の道を提唱した。…

※「トルベツコイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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