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清原宣賢 きよはらの のぶかた

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美術人名辞典の解説

清原宣賢

戦国時代の儒者。又国学に通ず。卜部兼倶の子、宗賢の養嗣。環翠軒と号する。薙髪して宗武と称する。越前にて天文19年(1550)歿、76才。

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デジタル大辞泉の解説

きよはら‐のぶかた【清原宣賢】

[1475~1550]室町後期の学者。吉田兼倶(よしだかねとも)の子。清原宗賢の養子。号、環翠軒(かんすいけん)。法名、宗尤。儒学・国学に通じた。著「日本紀神代鈔」「貞永式目抄」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清原宣賢 きよはらの-のぶかた

1475-1550 戦国時代の儒者。
文明7年生まれ。吉田兼倶(かねとも)の3男。明経(みょうぎょう)道の清原宗賢(むねかた)の養嗣子。正三位,侍従。享禄(きょうろく)2年出家。証本,注釈書の作成,研究書の書写,講義などを通じて清原家の経学を集大成する。越前(えちぜん)朝倉氏にまねかれ,天文(てんぶん)19年7月12日同地に没した。76歳。号は環翠軒。法号は宗尤(そうゆう)。著作に「日本書紀神代巻抄」「貞永式目抄」ほか多数。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清原宣賢

没年:天文19.7.12(1550.8.24)
生年:文明7(1475)
室町期の儒学者。吉田兼倶の3男に生まれ,清原宗賢の養子となり家業を継ぐ。号は環翠軒(祖父業忠と同じ)。文明12(1480)年3月,主水正,大炊頭を経て18年7月に蔵人に補せられ,明応9(1500)年6月従五位下,翌文亀1(1501)年1月直講となり,同年閏6月少納言に任ぜられ,永正1(1504)年昇殿を許される。8年には知仁親王(後奈良天皇)の侍読となり,大永1(1521)年4月には祖父業忠の例を襲って従三位に叙せられ,翌2年侍従,6年11月正三位となる。享禄2(1529)年2月大徳寺で剃髪,宗尤と号した。致仕後は京都で儒典を講ずるかたわら,北陸の地にしばしば足を運ぶ。3年能登の畠山義総邸で『中庸章句』を,天文1(1532)年には若狭小浜の栖雲寺に於て,守護武田氏のために『孟子』を講じた。14年,越前朝倉氏の招きで一乗谷を訪れ,『古文孝経』を講じ,同地に没した。墓は福井市禅林寺にある。 学風は新古折衷学派で,その訓釈資料の多くが清原家の嫡流舟橋家に伝えられ,京都大学蔵の清家文庫に伝存している。清原家の経学を集大成した功績は大きく,清原家証本の作成,注解のための抄物の作成,書写活動,盛んに講筵を開くなどしたことが特筆される。彼の書写したものに桃源瑞仙『史記抄』,竺雲等連『漢書抄』,一柏現震『易学啓蒙通釈口義』,一条兼良日本書紀纂疏』,吉田兼倶『日本書紀抄』,佚名述『胡曾詩抄』などがある。多芸多能で,多方面に活躍し,吉田兼倶の神道学を祖述した『日本書紀神代巻抄』,三条西実隆伊勢物語講釈の聞き書き『伊勢物語惟清抄』などを遺している。『塵芥』や『詞源要略』などの辞書の編纂にも当たった。また当時分国法の母法として重んじられた御成敗式目の注『貞永式目抄』を著した。景徐周麟ら五山禅僧の催した詩筵にも連なっている。<参考文献>山田英雄「清原宣賢について」(『国語と国文学』34巻10号)

(山崎誠)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きよはらのぶかた【清原宣賢】

1475‐1550(文明7‐天文19)
室町後期の学者。父は吉田兼俱で,清原宗賢の養子となる。儒学・神道・明法道・国文学等多方面に明るく,《日本紀神代巻抄》《倭朝論鈔》《式目抄》等多くの著作がある。号は学統をうけつぎ崇敬する祖父清原業忠の環翠軒を用いた。1550年越前国の朝倉氏城下一乗谷で没し,今も五輪塔の一部が現地に残る。法名宗尤。清原氏は後世舟橋氏を名のるので舟橋宣賢とも呼ばれる。【清田 善樹】

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大辞林 第三版の解説

きよはらのぶかた【清原宣賢】

1475~1550) 戦国時代の儒者。吉田兼俱の三男。清原宗賢の養子。号、環翠軒。公卿・僧・大名に対して新古折衷の立場で四書五経を教授。博学多才で、神道説・国文・漢詩などにも通じた。著「日本書紀神代巻抄」「伊勢物語惟清抄」「貞永式目抄」ほか多数。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清原宣賢
きよはらのぶかた

[生]文明7(1475)
[没]天文19(1550).7.12. 越前,一乗谷
室町時代後期の学者,舟橋を家名としたので,舟橋宣賢ともいう。吉田兼倶の3男。清原宗賢の養子となる。号は環翠軒。法名は常広。儒学に秀で,主水正,大炊頭,直講,蔵人を経て,大永2 (1522) 年侍従に進み,同6年正三位に叙せられた。

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世界大百科事典内の清原宣賢の言及

【式目抄】より

…《御成敗式目抄》ともいう。清原(舟橋)宣賢(のぶかた)の著作。1534年(天文3)成立。…

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