中島(読み)ナカジマ

デジタル大辞泉 「中島」の意味・読み・例文・類語

なかじま【中島】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「中島」姓の人物
中島梓なかじまあずさ
中島敦なかじまあつし
中島京子なかじまきょうこ
中島健蔵なかじまけんぞう
中島貞夫なかじまさだお
中島知久平なかじまちくへい
中島俊子なかじまとしこ
中島信行なかじまのぶゆき
中島治康なかじまはるやす
中島広足なかじまひろたり
中島なかじまらも

なか‐じま【中島】

池や川などの中にある島。特に、寝殿造りの庭園の池にこしらえた島。

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精選版 日本国語大辞典 「中島」の意味・読み・例文・類語

なか‐じま【中島】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 池や川の中にある島。特に、寝殿造りなどの庭園の池中にこしらえた島。
    1. [初出の実例]「かの院のなかじまの松をけづりてかきつけ侍ける」(出典:後撰和歌集(951‐953頃)雑一・一〇九三・詞書)
  2. [ 2 ] 大阪市北区にある淀川下流の中州、中之島のこと。
    1. [初出の実例]「官軍中嶋(ナカジマ)を打越て都を差て責上る」(出典:太平記(14C後)三七)

なかしま【中島】

  1. [ 一 ] 愛知県の北西部にあった郡。木曾川中流の左岸に位置。天正一四年(一五八六)木曾川の大洪水によって旧郡域は分断され、西部は美濃国(岐阜県)中島郡となった。現在の稲沢市と一宮市の一部。
  2. [ 二 ] 岐阜県の南西部にあった郡。もと尾張国(愛知県)中島郡に属していたが、木曾川の流路変更により分離成立。明治三〇年(一八九七)羽栗郡と合併して羽島郡となる。

なかじま【中島】

  1. ( 「なかしま」とも ) 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「中島」の解説

中島
なかじま

中世―近世に用いられた地域名称。西成にしなり郡の神崎川と中津川、中津川と淀川(大川)に挟まれた島形の地をいい、近世以降はこのうち神崎川と中津川間を北中島(現東淀川区・淀川区と西淀川区東部)、中津川と淀川間を南中島(現大淀区と北・福島・淀川三区の一部)といった。北中島はさらに現東淀川区菅原すがはら一丁目から西淡路にしあわじ六丁目付近を結ぶ位置にあった二重堤逆ふたえつつみさか川の東側を上中島かみなかじま(上島)、西側を下中島(下島)に分けた。

中島の称がいつから用いられたかは不明だが、「太平記」巻二五(藤井寺合戦事)に、正平二年(一三四七)八月、楠木正行が「其勢五百余騎ヲ率シ、時々住吉天王寺辺へ打出々々、中島ノ在家少々焼払テ、京勢ヤ懸ルト待タリケル」とみえるのが早い。以後、室町幕府の発給文書や当時の日記などにしばしばみられ、なかには中島郡と郡扱いをする場合(「斎藤基恒日記」嘉吉元年閏九月条)もあることから、室町時代には西成郡と同義あるいは西成郡が一時期中島郡と改称していたとする説もある。


中島(忽那島)
なかじま(くつなじま)

[現在地名]中島町

中島町の中心をなす中島(二二平方キロ)を古くは忽那島とよんだ。

奈良時代ここに法隆寺の荘園があり、天平一九年(七四七)の法隆寺伽藍縁起流記資財帳には「骨奈嶋一処」とある(→温泉郡。「中嶋」の文字の初見は「忽那嶋開発記」の興国三年(一三四二)の記事で、河野通盛の侵入に対し忽那一族が「護中嶋、本山(城)楯籠ル」とある。中島を主島とする瀬戸内海上の島々を忽那七島ともよんだ。野忽那のぐつな島・睦月むづき島・忽那島・怒和ぬわ島・津和地つわじ島、はしら(現山口県)二神ふたがみ島がそれである。


中島
なかじま

[現在地名]秋田市千秋矢留せんしゆうやどめ町・千秋せんしゆう中島町・手形休下てがたきゆうか町・手形てがたからみでんの各一部

中島は地形的名称で、その西、あさひ川沿いの南かめの丁から延長された土塁と、北の丸新きたのまるしん町西側の土塁とに包まれた低地。その中の町々は上中島本かみなかじまほん町・同なか町は現千秋矢留町と現千秋中島町に、土手どて町・ほん町は現千秋中島町に、新中島土手しんなかじまどて町と同すえ町は現千秋中島町と現手形休下町に、新中島幸しんなかじまさいわい町は現手形からみでんに属する。屋敷割の時期は不明であるが、正保年間(一六四四―四八)の出羽国秋田郡久保田城画図(内閣文庫蔵)には、上中島本町一四七間と、その西に平行した上中島中町、上中島土手町だけが割り付けられ、以北は空堀である。


中島
なかのしま

若松わかまつ(若松区)と戸畑の間、洞海どうかい湾の湾口狭隘部の中ほどにあった島。中ノ島などとも記し、うき島ともいった。昭和一四年(一九三九)から始められた洞海湾改修工事の一環として切取り工事が始められ、翌一五年一二月には完全に削平されて消滅。「筑紫風土記」逸文(万葉集註釈)にみえるかご島は当島のこととされる。永禄年中(一五五八―七〇)には大内方の小田(小田村)備前守が館を構え、筑前に入部した黒田長政は当島に若松城を築いて三宅家義を置いたが、同城は一国一城令で破却された。


中島
なかしま

[現在地名]小倉北区中島一―二丁目

東曲輪の南にある。葭原よしはらのはずれの土手上にある中櫓より西のむらさき川に架かる豊後橋までの一帯。宝永元年(一七〇四)蟹喰かにはみ・中島などで床上四、五尺の浸水があった(「忠雄公年譜」県史資料六)。享保一三年(一七二八)写の小倉城図(毛利文庫)では足軽丁・新足軽丁などと記される。延享三年(一七四六)の巡見上使御答書(県史資料二)によれば、御用米蔵五軒が置かれていた。


中島
なかじま

[現在地名]津和野町後田うしろだ

津和野川は藩邸北で屈曲するが、この屈曲部の東側、外濠と津和野川に囲まれた地。藩邸の向いに位置し、重臣が配された。藩邸の中門から御厩橋(御幸橋)が架かる。同橋からの三間半の道により、南の上中島、北の下中島に分れ、下中島の出入口に惣門がある。また惣門前広場からはおお橋が架かり殿との町に通じている。元禄期城下侍屋敷等絵図(津和野町郷土館蔵)では、上中島は長さ二五九間・幅四間の川沿いの道に沿い、すべて藩邸に向かって屋敷一〇軒が並ぶ。



なかこしきじま

上甑島と下甑島の中間に位置。平良たいら島・島ともいう。面積六・九三平方キロ、最高点は木の口きのくち山の標高二九四・三メートルで、現在の上甑村のうち。上甑島と比べると海岸線は単純で、地質は甑島列島全体の基盤をなす中生界の砂岩・頁岩の互層の上にほぼ同時代の砂岩層が載っており、それが島中央部の高所を占めている。島の大きさに比して大きな湾入が東側にみられる。長さは約二・五キロ。中世は甑島のうちかみ村に含まれ、近世は甑島郷のうち上甑に含まれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中島」の意味・わかりやすい解説

中島(愛媛県温泉郡)
なかじま

愛媛県北西部、温泉郡にあった旧町名(中島町(ちょう))。1952年(昭和27)東中島村が町制施行して中島町となり、1959年神和(しんわ)村と合併。1960年睦野(むつの)村、1963年西中島村を編入。2005年(平成17)北条(ほうじょう)市とともに松山市に合併。なお、この合併に伴い、温泉郡は消滅した。旧町域は、松山市沖の忽那諸島(くつなしょとう)7島のうち、野忽那(のぐつな)島、睦月(むづき)島、中島、怒和(ぬわ)島、津和地(つわじ)島、二神(ふたがみ)島の6島を占め、由利(ゆり)島など属島22がある。現在は松山市の北西部を占める。高浜港、三津浜(みつはま)港から航路がある。瀬戸内海国立公園域。南北朝から近世初めまで瀬戸内水軍の雄であった忽那氏の根拠地で、近世は松山藩領、大洲(おおず)藩領、天領に三分されていた。中心は諸島中最大の中島である。中島を中心とするミカン栽培が基幹産業で、津和地島や二神島はタイ漁などの漁業が盛ん。近年ではヒラメの養殖も行われるようになった。睦月島や野忽那島では昭和初期まで伊予絣(いよがすり)などの行商が盛んであった。中島は海運業に従事する者も多い。

[横山昭市]

『『中島町誌』(1968・中島町)』


中島(石川県)
なかじま

石川県中北部、鹿島郡(かしまぐん)にあった旧町名(中島町(まち))。現在は七尾(ななお)市の北東部を占める地域。1954年(昭和29)西岸(にしぎし)、釶打(なたうち)、熊木(くまき)、中島、豊川(とよかわ)、笠師保(かさしほ)の6村が合併し町制施行。2004年(平成16)七尾市、田鶴浜(たつるはま)町、能登島(のとじま)町と合併、七尾市となる。旧町域は、能登(のと)半島中央部、七尾湾の北湾、西湾に面し、丘陵地が広い。のと鉄道七尾線、国道249号、のと里山海道(横田インターチェンジがある)がほぼ並行して南北に走り、能登島と結ぶ中能登農道橋(ツインブリッジのと)が1999年(平成11)に開通した。熊木川下流に古墳が分布し、また古代の熊来(くまき)郷の地で、越中(えっちゅう)国守大伴家持(おおとものやかもち)の『万葉集』の歌にも「熊来」の字がみえる。中世、朝鮮系の神を祀(まつ)る久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社(熊甲宮(くまかぶとぐう))があり、「熊甲二十日祭の枠旗(わくはた)行事」は国の重要無形民俗文化財に指定され、久麻加夫都阿良加志比古神坐像は国指定重要文化財。熊木川下流には美田が開け、中心の中島は越中(富山県)への木材、木炭の舟運でにぎわった。米作、合繊織物工業が盛んで、七尾湾のカキ養殖やナマコ漁、カボチャ、中島菜栽培などが行われる。海岸は景勝地が多く、公営国民宿舎などの宿泊施設やオートキャンプ場がある。江戸中期の農家座主家住宅(ざすけじゅうたく)、藤津比古神社(ふじつひこじんじゃ)本殿は国の重要文化財。

[矢ヶ崎孝雄]

『『石川県中島町史 資料編』(1966・中島町)』『『中島町史』全2巻(1995~1996・中島町)』



中島(愛媛県松山市)
なかじま

愛媛県北西部、忽那(くつな)諸島の中央にある島。松山市に属す。面積21.14平方キロメートル。山頂付近は第三紀の火成岩の安山岩からなり、侵食から取り残され、円錐(えんすい)状の山地を形成し泰(たい)ノ山、大里(おおり)山をなしている。海岸の多くは領家花崗(りょうけかこう)岩の風化による白砂が沿岸流によって美しい弧状の汀(てい)線となり、海水浴、キャンプの適地。瀬戸内海国立公園に含まれる。島内では柑橘(かんきつ)栽培が行われ、忽那水軍の城砦(じょうさい)跡や懐古館(歴史民俗資料館)がある。なお中島は、古くは骨奈島(こつなじま)、忽那島と称したが、忽那氏が忽那諸島を領有したころから中島とよばれるようになった。人口3589(2009)。

[深石一夫・横山昭市]


中島(村)
なかじま

福島県中通り南部、西白河郡(にししらかわぐん)の村。1955年(昭和30)滑津(なめづ)、吉子川(よしこがわ)の2村が合併して成立。阿武隈川(あぶくまがわ)左岸の平坦(へいたん)地が村域の主要部を占め、米作をはじめトマトやチンゲンサイなどの施設野菜、花卉(かき)、苗木や緑化樹の栽培、畜産など多彩な農業経営を行う。国道や鉄道は通じないが、幹線交通路との連絡はよく、かつ土地も広大なことなどが誘因となって、工場の立地や住宅団地の造成もみられる。面積18.92平方キロメートル、人口4885(2020)。

[渡辺四郎]

『『中島村史』(1986・中島村)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中島」の意味・わかりやすい解説

中島
なかじま

石川県能登半島中央部,七尾湾西湾に面する地区。旧町名。 1954年西岸村,釶打村,熊木村,中島村,豊川村,笠師保村の6村が合体して町制。 2004年 10月,旧七尾市,田鶴浜町,能登島町と合併し,新市七尾市を設立。米作を主とするが,雑穀類,蔬菜,果実類を栽培,シイタケを産し,沿岸ではカキの養殖が盛ん。近年は乳牛,肉牛,養鶏などの畜産も行なわれる。合成繊維工業,電子工業などの振興がはかられている。湾岸部一帯は能登半島国定公園に属する。中央部の宮前に久麻加夫都阿良加志比古神社 (熊甲宮) があり,9月 20日の例大祭で行なわれる「熊甲二十日祭の枠旗行事」 (→お熊甲祭 ) は国の重要無形民俗文化財。

中島
なかじま

愛媛県北西部,忽那諸島中島を中心に 10をこえる小島からなる旧町域。 1952年町制。 1959年神和村と合体。 1960年睦野村,1963年西中島村を編入。 2005年松山市に編入。鎌倉時代は忽那水軍 (→忽那氏 ) の根拠地。江戸時代は松山藩,大洲藩両藩が分割統治していた。温州みかん,伊予柑の栽培が盛んで,中島に大規模な選果場がある。津和地島,二神島では漁業が主。二神島にあるビャクシン自生地と宇佐八幡宮のイブキは有名。瀬戸内海国立公園に属する。対岸の松山市高浜港から各島々をめぐる定期船が通う。

中島
なかじま

愛媛県北西部,忽那諸島の主島。古称は忽那 (くつな) 島。松山市に属する。中世は後白河法皇の荘園であった。江戸時代初期は大洲藩領。寛永 12 (1635) 年 11集落中7集落を松山藩と替え地。ミカン栽培が盛んで,選果場,荷受施設が整備。一部は瀬戸内海国立公園に属する。面積 21.12km2。人口 4263 (2000) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「中島」の意味・わかりやすい解説

中島[村] (なかじま)

福島県南部,西白河郡の村。人口5154(2010)。中通り地方南部,阿武隈川上流の北岸に位置する。北東部は丘陵で山林,畑地が多く,南西部から東部にかけてはおおむね平たんで,水田地帯となっている。中心の滑津(なめづ)は陸羽街道と茨城街道を結ぶ地方交通の要衝であった。第2次大戦中までは県下有数の馬産地であったが,その後,和牛の飼育,養豚,養鶏に転換している。1960年代中ごろに圃場整備事業が行われ,稲作の機械化・省力化による余剰労働力を利用してキュウリ,トマトなどの野菜栽培が盛んとなった。また滑津原では近世から苗木の生産が行われ,山林苗,園芸用苗木,花卉が多く生産されている。
執筆者:


中島(石川) (なかじま)


中島(愛媛) (なかじま)

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百科事典マイペディア 「中島」の意味・わかりやすい解説

中島[町]【なかじま】

愛媛県北西部,温泉郡の旧町。中島を中心に睦月(むづき),野忽那(のぐつな),怒和(ぬわ),津和地(つわじ),二神(ふたがみ),由利の各島からなる忽那(くつな)諸島を占める。主集落は中島の大浦で,松山市高浜港から船が通じる。柑橘(かんきつ)類の栽培が盛ん。瀬戸内海国立公園に属する。2005年1月北条市と松山市へ編入。37.24km2。6481人(2003)。
→関連項目忽那諸島

中島[町]【なかじま】

石川県北部,鹿島(かしま)郡の旧町。七尾湾に面する能登半島の丘陵地を占め,のと鉄道が通じる。農林業を主とし,繊維工業も行う。水産業も盛んで,カキを養殖。2004年10月七尾市,鹿島郡田鶴浜町,能登島町と合併し,七尾市となる。98.52km2。7694人(2003)。

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デジタル大辞泉プラス 「中島」の解説

中島〔愛媛県〕

愛媛県松山市、松山港の北西約15キロメートルの斎(いつき)灘に浮かぶ忽那(くつな)諸島の中心島。面積約21.17平方キロメートル。「中島本島」ともいう。忽那諸島の名は、かつて中島にあった後白河法皇の荘園の荘官で、忽那水軍で名を馳せた忽那氏にちなむ。柑橘類の栽培が盛ん。夏に姫が浜ビーチで開催されるトライアスロン大会は全国的に有名。島北東部の荒神の森にあるカヤの巨木は推定樹齢700年で、市の天然記念物に指定されている。

中島〔熊本県〕

熊本県上天草市、天草諸島天草上島の北東に位置する前島と、無人島の瀬島の間にある島。面積約0.21平方キロメートル。クルマエビの養殖場がある。

中島〔屈斜路湖〕

北海道屈斜路湖内にある無人島。面積は約5.8km2で、淡水湖内の島としては日本最大。

中島〔洞爺湖〕

北海道洞爺湖の中央部にある島嶼群。大島、観音島、饅頭島などがある。

中島〔沖縄県〕

沖縄県島尻郡渡嘉敷村、前島の北隣にある無人島。

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事典・日本の観光資源 「中島」の解説

中島

(福島県相馬郡新地町)
美しい日本のむら景観100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中島の言及

【那賀川[町]】より

…海岸線は単調な砂浜海岸で,出島地区には砂丘が発達する。那賀川に沿った中島地区は古くから最上流の木頭(きとう)林業地帯(木頭)より運ばれてくる木材の集散地として繁栄し,現在も製材,建具などの木材関連企業が立地する。農業は米作中心であるが,近年は水田を利用したウナギ養殖のほか,キュウリ,イチゴなどのハウス栽培も盛んである。…

【中島】より

…瀬戸内海に浮かぶ忽那(くつな)諸島の中心で,古くは忽那島とよばれた。大小の島々からなる愛媛県温泉郡中島町最大の島で,面積22km2,人口5946,中島町全体の人口は7195(1995)。忽那島は奈良時代には法隆寺領で,平安時代には馬牛牧が置かれ,左右馬寮に馬牛を貢進している。…

【洞爺湖】より

…カルデラ壁には畑地も開かれ,北部にはニナルカ台地や一ノ原,二ノ原など火山灰や軽石流堆積物からなる広大な台地もみられる。湖の中央部には中島(最高点は標高455m)をはじめ観音島,弁天島,饅頭島などの輝石角セン石安山岩からなる中央火口丘がある。湖岸には狭い砂浜もあり,北部から流入するポロベツ川には小規模な三角州も形成されている。…

【大和[町]】より

…有明海ではノリ養殖が盛んで,全国に出荷されている。矢部川西岸の河港中島は国道208号線と西鉄大牟田線が通じ,有明海有数の漁港として発展している。沿岸数kmが干潟となる海岸は,5月には潮干狩り客でにぎわう。…

【忽那諸島】より

…愛媛県松山市の北西,瀬戸内海の安芸灘と伊予灘をわける島群。ほとんどの島が愛媛県温泉郡中島町を形成する。このうち中島,睦月島,野忽那島,怒和(ぬわ)島,津和地島,二神島と柱島(山口県)はかつて忽那七島と呼ばれ,南朝方についた忽那氏の勢力範囲であったが,現在は柱島にかえて興居(ごご)島(松山市)を加え,忽那七島とする。…

※「中島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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